現代思想において、特に大陸哲学に多大な影響を及ぼした哲学者、マルティン・ハイデッガーは、哲学について次のように説明している。古代以来、哲学の根本的努力は、存在者の存在を理解し、これを概念的に表現することを目指している。その存在理解のカテゴリー的解釈は、普遍的存在論としての学的哲学の理念を実現するものにほかならない。 ? マルティン・ハイデッガー、『存在と時間』上、細谷貞雄訳、ちくま学芸文庫、1994年、19頁、「序に代えて」より 古典ギリシア語の「フィロソフィア」(古希: φιλοσοφ?α、philosophia、ピロソピアー、フィロソフィア)という語は、「愛」を意味する名詞「フィロス」(φ?λο?
語源とその意味
古典ギリシア語の「フィロソフィア」は、古代ローマのラテン語にも受け継がれ、中世以降のヨーロッパにも伝わった。20世紀の神学者ジャン・ルクレール(en:Jean Leclercq)によれば、古代ギリシアのフィロソフィアは理論や方法ではなくむしろ知恵・理性に従う生き方を指して使われ、中世ヨーロッパの修道院でもこの用法が存続したとされる[17]。一方、中世初期のセビリャのイシドールスはその百科事典的な著作『語源誌』(羅: Etymologiae)において、哲学とは「よく生きようとする努力と結合した人間的、神的事柄に関する認識である」と述べている[18]。
翻訳語「和製漢語」も参照
英語をはじめとした多くの言語で、古希: φιλοσοφ?αをそのまま翻字した語が採用されている。例えば、羅: philosophia、英: philosophy、仏: philosophie、独: Philosophie、伊: filosofia、露: философия、阿: falsafahなどである。
日本で現在用いられている「哲学」という訳語は、大抵の場合、明治初期の知識人西周によって作られた造語(和製漢語)であると説明される[19][20][21][22][8][9]。少なくとも、西周の『百一新論』(1866年ごろ執筆、1874年公刊)に「哲学」という語が見られる[注 9][23]。そこに至る経緯としては、北宋の儒学者周敦頤の著書『通書』に「士希賢」(士は賢をこいねがう)という一節があり[24][23]、この一節は儒学の概説書『近思録』にも収録されていて有名だった[25]。この一節をもとに、中国の西学(日本の洋学にあたる)が「賢」を「哲」に改めて「希哲学」という語を作り、それをフィロソフィアの訳語とした[21]。この「希哲学」を西周が借用して、さらにここから「希」を省略して「哲学」を作ったとされる[21][注 10]。西周は明治政府における有力者でもあったため、「哲学」という訳語は文部省に採用され、1877年(明治10年)には東京大学の学科名に用いられ[9][19]、1881年(明治14年)には『哲学字彙』が出版され、以降一般に浸透した[23]。