和食
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「御椀」は日本料理を成立させるために不可欠な献立であり、鰹節昆布だしを使い、カニや魚のすり身など主となる食材が入っており、その器も口をつけて食べることができるようになっている。

焼き物」は腕を問われるものであり、魚を焼くという技術を高度化し、焼く火には炭火を使い客席に届くまでに余熱で中まで火が通るように仕上げる。

「焚合わせ」は日本の野菜で作った一皿料理のことを指す。歴史に見れば、奈良時代に伝来した茄子室町時代の大根、江戸時代インゲン豆蓮根キャベツ牛蒡サツマイモ竹の子トマト明治時代には玉葱オクラ昭和時代には白菜ピーマンといったものが使われるようになっている。

香の物」は香りの濃い漬物のことを指す。香の物は単独の料理より、煮物・蒸し物・煎り物などの料理と合わせて、副菜としてじっくり食べることが多い[23]

日本料理と和食の違い節会や節句に作られる御節料理。豪華絢爛な食材・食器を使って視覚を刺激する。

「日本料理」と「和食」という言葉は文明開化の時代に日本に入ってきた「西洋料理」や「洋食」への対義語という形で誕生されていた。

「日本料理」には料亭で提供される高級料理のイメージがある一方、「和食」は高級食も家庭食も含む日本の食文化全体をあらわす言葉として、より相応しいとする意見もある[24]

20世紀初頭では、日本料理の用例は早くて1881年の『朝野新聞』5月20日にみられる[25]。ある調査では明治、大正時代にかけて日本料理を書名に持つ書籍は4点しか見つからず、1904年の『和洋 家庭料理法』では日本料理は家庭料理を指しており、現在とイメージが異なっていた[25]。1903年の村井弦斎の『食道楽』には日本料理、西洋料理が対比して解説されており、『食道楽 秋の巻』では米料理百種として、日本料理の部では油揚飯・大根飯・栗飯など50種のご飯を紹介している。

20世紀の中盤、「日本料理」は石井泰次郎[注 1]による1898年(明治31年)の『日本料理法大全』により一般化され、「和食」はそれ以降に現れたものであると看做されている[26]

21世紀の日本権威辞書『広辞苑』や[2]大辞泉』にて、「和食」の項をひくと「日本風の食事、日本料理。」のように端的に書かれており、「日本料理」の項には冒頭の第一段落に説明したようなもう少し長い説明がある。
特徴

日本では、野菜・果物・魚介類・海藻などの食材が量も種類も非常に豊富である[27]。これは日本が置かれている幾つかの地理条件が関係している。

周囲をプランクトンが豊富な海洋に囲まれている。特に三陸沖オホーツク海沿岸を中心とする北西太平洋海域は、寒流親潮暖流黒潮が合流する世界有数の大規模な漁場である。

島嶼リアス海岸が多いため海岸線が複雑で長い(世界第6位)。また海岸は砂浜が少なく岩場が多い。結果、魚類が産卵しやすい環境となっている。

国土の大半が温帯湿潤気候に属する。四季による気温差、昼夜の寒暖差が大きく、年間を通して降水量が多いため植物が育ちやすい。

国土が細長く、さらにその7割が山岳地帯であるため河川水源から河口までの距離が短く、また急勾配を流れるため水流が速い。結果として水循環が生まれやすい。

山地の大部分が広葉樹林に覆われていることで、土壌の養分が豊富である。

国土が南北に広く、亜寒帯から亜熱帯までを含む。

ほとんどの料理は、ご飯に対するおかずという位置づけであり、米とに調和する[3]

歴史的に肉食が禁止され、長きにわたり乳製品等の家畜製品は普及しなかった[28](乳製品には醍醐が例外的にあるだけで欠如した)。食用油の使用も中世までは発展せず、例外的に唐菓子があり、南蛮料理に由来する天ぷらによって、油の使用が急速に普及していった[3]。このため、肉や油脂に代わる味つけとしてだしが発達した[28]。こうした背景が淡白な味つけを生んでいる[3]。強い香辛料はあまり使われず、の味、素材の持ち味が生かされる[3]。主要な調味料である味噌醤油大豆を発酵させた調味料で、これもうま味を伴う。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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