前述の理由から子供を産むことができなかったため、大の子供好きである[19]。
デビュー前、地元大阪では女番長(当時の類語としてズベ公、スケバン)として名を馳せていたものの、唯一沢田研二(正義感が人一倍強く、血気盛んだった)にだけは頭が上がらず、睨まれ縮こまってしまったほどである。
毒舌で体が大きく、また酒豪で暴力をふるう・喧嘩っ早いというイメージが強いが、その一方寂しがりや・恐がりで家事好き、意外に繊細な泣き虫である。可愛がっている芸能人を自宅に招待して酒を飲みつつ手料理を振る舞ったり、自宅に泊めたりしている。また昔から仲間うちで集まり酔って大騒ぎ・悪ふざけ・無茶ぶりをすることもあり、若い頃は泥酔して何も覚えていないこともしばしばあった。これが和田にまつわる酒席での数々の恐怖のエピソードとなる。一方、前述の通りの家庭環境や山岡久乃との関係から礼儀作法や不義理、また遅刻・番組収録時間の押しには厳しいが、身内に対しては甘いきらいがあり、特に非常に可愛がっていた芸能人の不祥事に関しては触れたがらなかったり言葉を濁したりすることも多い[20]。ただし犯罪を犯したり反社会勢力との交際の疑いで引退した芸能人については、身内であっても一切の連絡を絶つことにしており、年賀状のやり取りすらも行っていない。
一緒に飲みに行った芸能人がテレビ番組などで、夜中に電話で呼び出される・毎晩飲みに誘われる・朝まで説教された・酒を飲んで暴れるというエピソードをよく語るが、和田は「若い時はいざ知らず現在はそんな体力はない」「虚像の“和田アキ子”のイメージばかりが先行する。」と否定しながらも、「それが、“和田アキ子”のイメージならそれでいい。酒飲まない、暴れない、説教しない“和田アキ子”なんて“和田アキ子”じゃない。」と語っている[2]。
あがり症で、コンサート・音楽番組に出演する際は過剰に緊張してしまい、本人いわく「心臓は止まりそうだし冷や汗は出るし、背中はびっちょりだし脇の下もびっちょり」で、カンニングペーパーがあっても1番の歌詞を何度も歌ってしまうこともよくある。また紅白歌合戦では、ステージ袖では毎回緊張のあまり手が震えて水を飲むのもやっととのこと。その一方で、バラエティ番組では基本的に一切あがらない[13][16][21]。また楽曲のレコーディングでは、誰かの視線を感じると緊張でベストコンディションで歌えなくなってしまうため、誰からも覗かれないようにカーテンを閉め切り、真っ暗な中で譜面台の明かりだけをつけてレコーディングを行う[22][23]。
暗い所が大嫌いである[注釈 12]。 タレントとしてよりも歌手としての和田については評価される傾向があり、親交のあるカンニング竹山は和田の歌唱力をエラ・フィッツジェラルドに例えている[24]。 中学時代からレイ・チャールズのファンである。中学生の頃から独自に歌を歌い始めたきっかけは、レイの歌の素晴らしさに加え、黒人で視覚障害者である彼の“差別に負けない生き方”に共感したこと[12]。和田のデビュー30周年のライブでは、レイがわざわざ来日してゲスト出演してくれたとのこと[12]。 このため歌手業においてレイの影響を公言し、初期の公演実況録音盤では、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ、チェイスなどカバー曲をステージレパートリーにしていたことが知られている。映画やテレビ出演々技とは一方で楽曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」の成功から、独特な合いの手、シャウト(アー!、Come on !ハッシッシッシ…、など)和田の個性的な歌唱上の特徴を控えたもので1973年から放映NHK教育の人形劇「プルルくん」主題曲担当など、児童の合唱曲模範になる録音を残している。 40周年ではニューヨークのアポロシアターで東洋人初のワンマンライブを実現[12]。2022年に変形性股関節症になり、膝に水がたまった影響で、しばらくはお腹に力が入らなくて歌えない状態となった[12]。 2007年(平成19年)4月10日、東京・西麻布に和食屋「わだ家」をオープン。後に東京と大阪を中心に6店舗が展開。和田は監修という立場で、経営は夫の会社である株式会社エー・アンド・ケイ[注釈 13]が行っている。1980年代には美容院を経営していた。 毎年、和田の誕生日パーティーは、多くの芸能人を招待して行われることで有名である。例として、2008年の誕生日パーティにはみのもんた・高田純次・陣内孝則等の大物芸能人や、番組共演者とアッコファミリーの出川哲朗・勝俣州和らが参加している[16]。 全国ネット番組では基本的に標準語で話すが、関西出身者との共演、ドラマで関西出身の人物を演じる時には関西弁を使う。また『ラブアタック!』など、視聴者参加番組で関西から来た参加者にインタビューする際も関西弁で会話する。 先述通り、『森田一義アワー 笑っていいとも!』の看板コーナー『テレフォンショッキング』において、単独最多出場ゲストである(通算22回出演)。 なお、大阪制作の番組でのレギュラー出演は少なく、また『ラブアタック!』を最後に大阪制作のレギュラー番組を持っていない。 出演する番組や記者会見において、他の芸能人や『NHK紅白歌合戦』の出場者、放送内容に対する辛口コメントが多く、マスコミはそのコメントを採り上げることが多い。特にプロ意識に欠ける言動があった芸能人については辛辣な口調で批評する。「芸能界のボス」「芸能界のご意見番」の異名はこれに由来する[2]。 本人は「芸能界のご意見番」と呼ばれることは嫌っており、「言われているのなら返上する」「オブラートに包んでいるつもりなんだけど、声もよく通るし迫力があるから。他の人で“そこまで言っていいの?”っていっぱいいる」と自身よりも過激な発言をする人物がいるのに、自身の発言が目立って取り上げられることに不満を見せている[25]。 2016年まで10回行われている週刊文春の「女が嫌いな女」のランキング開始以降、常に上位に位置している[注釈 14]。2013年で初めて1位になり、2015年の2回連続で1位となり、嫌いな理由として「威張り過ぎ」、「大物ぶって鼻につく」、「見ただけで不愉快になる傲慢な態度。ときどき小心者ぶるところがさらに不愉快」、「自分の親しい人ばかりかばうご意見番なんて嫌だ」などが挙げられた[26]。2016年の調査でも2位のベッキーを大きく引き離して3回連続で1位となり、嫌いな理由として「身内びいきなことが多々あるので、もういい加減ご意見番から引退してほしい」、「とにかく偉そうなところが鼻につく」などが挙がった。 上記に絡み、和田と縁の深い竹山隆範は「アッコさんは我々も暴力性とかネタにしちゃってる部分があるけど、日頃は凄く女性で付き合いやすい六十代のおばさん。
歌手として
実業家
誕生パーティー
テレビ出演
芸能界のご意見番
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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