1975年(昭和50年)、マチャアキのガンバレ9時まで!!(日本テレビ)の収録のために中野サンプラザに居た際に楽屋泥棒を捕まえ「警視総監表彰」を受け、当時の大手新聞各紙で大いに報じられた[41]が、新聞紙面にて年齢が公表された件で事務所がデビュー時に決めたプロフィールとズレが生じ、以降プロフィールは訂正された。
和田が「どんぐりカット」と呼んでいる独特の髪型は、ライザ・ミネリの髪形を真似たものである。1976年頃にのどのポリープ手術で入院する際、入浴に制限があるため手入れがいらない髪形を探していたところ、たまたまライザ・ミネリの写真を見て気に入り、それを和田に似合うようにアレンジした[3]。
2007年、2008年、2010年と大腸ポリープの手術を受けていることを明らかにしている。2010年に至っては8個のポリープを除去するために2回入院したと語っている。
化粧や嘘泣きができるので、女として産まれて良かったと思っていると語っている[42]。
本人が事実と認めている伝説の一つに「CDが登場したばかりの頃、CDのケースを拳で割って開けていた」というものがある[43]。本人曰く「CDケースの開け方がわからず、てっきり壊して取り出すものだと思っていた」「拳で割っていたのは最初だけで、痛いのでその後はハサミの柄などで割っていた」とのこと[43]。
2000年2月3日、節分の豆を買いに外出したところ、自宅近くの交差点でライトバンにはねられ右足骨折で数週間入院。当時の東京スポーツの記事の見出しには、事実とは逆に「車が大破!」と書かれていた[16]。
中央競馬と地方競馬の馬主資格を持っており、所有馬には「ルンバデブンブン」や「ダイナマイトソウル」等、自身の曲・アルバムのタイトルに因んだ名前を付けている。2004年(平成16年)11月28日には歌手として、東京競馬場で行われたジャパンカップのレース発走前に『君が代』を独唱し、同レースの優勝プレゼンターを務めた。
2008年(平成20年)3月3日、読売テレビ・日本テレビ系で放送のアニメ『ヤッターマン』中、大河原邦男のデザインによる和田をモデルにした三悪(ドロンボー)側メカ「ワダアッコー」とヤッターマン側ビックリドッキリメカ(ゾロメカ)「オマカセメカ」が登場[注釈 15]。両機は自身の2008年(平成20年)4月23日発売のアルバムCD『わだ家』のジャケットの表紙に採用された[注釈 16]。
和田のことをモノマネをするときによく歌われる『古い日記』の歌詞に出てくる、「ハッ!」という掛け声はスティービー・ワンダーを意識したものである[44]。ちなみに本人曰く「ものまねは、瀬川瑛子さんのまねしかできない」という。
自身はプロ野球にはあまり詳しくないが、夫の飯塚、弟、現在のマネジャーは読売ジャイアンツファンであり[45]、2015年の読売ジャイアンツ開幕戦(東京ドーム)では巨人カラーのオレンジのラインを入れた衣装で国歌斉唱を行った[46]。
2014年6月、「夢は『いつも旬でありたい』ということ。でも、歌手という自負がなくなったらやめる」と自身の引退について語った。その上で「ドレスが唯一似合ってると思っているし。第2の和田アキ子はいないと思う。(体が)大きくなきゃだめだし、声もハイトーンではだめ。一代で終わるとしたら和田アキ子を全うしたい。まだまだやりたいこといっぱいある。頑張りたい」とも語り、引退はまだ先であることも仄めかした[47]。なお、引退については幾度も考えたことがあるとのこと[19]。
2016年8月20日放送のフジテレビ『ミュージックフェア』で「Pokemon GOにはまっている」と発言した[48]。
長く活躍していることもあり、知名度も高い。2020年7月22日に放送された『水曜日のダウンタウン』の「古今東西 日本人知名度ランキング」[注釈 17]では、第6位 (94.0%) にランクインした。これは女性では第2位であり、男女関係なく歌手としてはトップである[50]。
音楽
いくつかのヒットを持つ和田だが、オリコン最高位はシングル2位[注釈 18]、アルバム25位である。2003年(平成15年)発売のシングル「トゥモロー?ジョージアで行きましょう編?」はオリコン77位(サウンドスキャンでは90位)を記録し、1992年(平成4年)発売の「愛、とどきますか」以来11年ぶりのオリコン100位以内ランクインシングルとなった。2006年(平成18年)発売のアルバム「今日までそして明日から」はオリコン76位を記録し、1972年(昭和47年)発売の「オリジナル・ゴールデン・ヒット集」以来34年ぶりのオリコン100位以内ランクインアルバムとなった。
オリコン調べによる1990年代(1989年12月1日?1999年11月30日)のレコード・CDのトータル売上金額は2億220万円で総合993位である[51]。
「あの鐘を鳴らすのはあなた」は自他共に認める和田の代表曲であり、多くの歌手によってカバーされている(詳しくは当該項目を参照)。同曲の歌詞にはベトナム戦争への反戦メッセージが込められているといわれ、1972年(昭和47年)の「第23回NHK紅白歌合戦」では当時のNHKに配慮して歌わなかった。
シングル
1-32まではRCAレコード→RVCから発売。33-69はワーナー・ミュージックジャパンから発売。70-93はコラボ企画以外は原則的にテイチクエンタテインメントから発売。ただし、デビュー当時より原盤権は東京音楽出版→ホリプロ音楽事業部が一貫して管理している。過去音源の発売権も配信サービスにおいてはホリプロからユニバーサル・ミュージックに移行している。(2022年11月現在)
2017年10月25日より、一部のタイアップ曲[注釈 19]およびコラボ曲[注釈 20]を除くシングルほぼ全曲が、カップリング曲も含めダウンロード販売およびサブスプリクション配信を開始した。
以下は、別名義、コラボレーション含む。
#発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲規格品番
RCA → RVC
11968年
10月25日A面星空の孤独阿久悠ロビー和田村井邦彦JRT-1004
B面バイ・バイ・アダム村井邦彦
21969年
4月25日A面どしゃぶりの雨の中で大日方俊子小田島和彦山木幸三郎JRT-1020
B面ボーイ・アンド・ガール小沢良知川口真
31969年
10月25日A面その時わたしに何が起ったの?阿久悠田口ふさえJRT-1043
B面つれてって、何処までも大日方俊子むつひろし
41970年
3月25日A面笑って許して阿久悠羽根田武邦馬飼野俊一JRT-1068
B面愛に証拠はいらない片桐和子小谷充
51970年
7月5日A面さすらいのブルースなかにし礼鈴木邦彦JRT-1087
B面男と女のロック
61970年
11月5日A面貴方をひとりじめ阿久悠羽根田武邦馬飼野俊一JRT-1121
B面世の中さかさま海野洋司田中正史