和田アキ子
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ときどき小心者ぶるところがさらに不愉快」、「自分の親しい人ばかりかばうご意見番なんて嫌だ」などが挙げられた[26]。2016年の調査でも2位のベッキーを大きく引き離して3回連続で1位となり、嫌いな理由として「身内びいきなことが多々あるので、もういい加減ご意見番から引退してほしい」、「とにかく偉そうなところが鼻につく」などが挙がった。

上記に絡み、和田と縁の深い竹山隆範は「アッコさんは我々も暴力性とかネタにしちゃってる部分があるけど、日頃は凄く女性で付き合いやすい六十代のおばさん。でもここまで来られたそれはバレないで女に嫌われるナンバーワンでいてほしい。それが和田アキ子だからと。」コメントした[27]。その一方、産業能率大学の「新入社員の理想の上司」調査[28]では、現行の調査方法になった1998年度から2013年度まで必ず10位以内にランクインしていた。逆に2016年「上司だったら面倒な女性芸能人」では2位の泉ピン子に大差をつけて1位になった[29]。また老害だと思う芸能人でも2位の張本勲に倍以上の大差で1位になった[30]

上記のいわゆる「上から目線」は反省する面があると自覚しており、なぜ年々発言が過激になっているかについて、最大の理由は「所属事務所のホリプロのみにとどまらず芸能界全体において先輩の刃向かえない立場の芸能人の死去や引退等による『叱ってくれる人がいなくなった』」[31]と自身の番組やゲスト出演した番組で何度も挙げており、そのまま自虐ネタにするときもある[32]

2007年(平成19年)の『第58回NHK紅白歌合戦』に初出場した杉本真人について「ぜんぜん知らない人」と番組中に発言した。しかし、過去に杉本から和田へ楽曲が提供されていたことが後に分かり、『アッコにおまかせ!』放送中に土下座して謝罪したこともあった[33]
芸能関係者との交友・関係
歌手、俳優との関係

山岡久乃とは、1973年(昭和48年)、TBS系ドラマ『あんたがたどこさ』で初共演して以来、山岡を「(芸能界での)おっ母(かあ)」と呼び、深く尊敬するようになった。

森繁久弥とは、ドラマ『桃から生まれた桃太郎』『あんたがたどこさ』での共演を機に知り合い、大御所だった森繁になぜか気に入られるようになった。和田は、母親同然に可愛がってくれた人を含む“4人の母”の中の一人として、森繁の妻・森繁杏子を挙げて感謝している。和田は森繁のことを親しみを込めて「森繁のじい」と呼んでいた[3]

水前寺清子とは、1970年代に確執が囁かれ、水前寺が和田のレギュラー番組から出演オファーがあった際、「アコが嫌いだから出演しない」と断り、それを聞き和田が涙をこぼしたと『女性自身』(1974年2月9日号)に報じられた。水前寺は2016年11月4日放送のフジテレビ『ダウンタウンなう』で、「週刊誌に(番組に)出てくれないんで、一晩中泣いたと書かれたんですよ。その時に、私はあの方が元気いいところを知ってましたんで、『泣くタマか!』と言ったのは覚えています。売られたケンカは買います。この事件は、(喧嘩を)売られたと思いましたから。私が全く知らないところでこういうことがあって、『一晩泣いた。どうしてくれるんですか?』って言われたんで。『泣くタマか』って言ったのは、今でも本当に申し訳なかったと思います。アッコちゃんは、本当に今はとってもよくしてくださるし、優しいです」と語った[34][35]

紅白の出場歌手が発表される以前から衣装を制作している小林幸子に否定的な考えを持っており、この件がきっかけで2人の間に確執が生じた[36]。もっとも小林とは1986年には週刊誌上で不仲さが取り沙汰され、1990年代に入っても和田は「あの小林幸子の衣装はなんだ」とことあるごとに文句を述べていた。小林は和田の意見に対し、「(紅白の衣装は)見ている人に楽しんでもらおうと思ってやっている」「(紅白に)もし出場できなかったらコンサートで着ます」「アッコちゃんは私よりも年上だけど、芸能界では私が先輩なんですから、陰でコソコソ言わないで何か意見を言いたいのならばじかにはっきりと私に言いに来たらいいのに」などと当時のワイドショーのインタビューなどで反論している。なお、和田は小林本人の前で批判は行わない[37]

今陽子とは親友の間柄で50年以上に渡る交流がある。
お笑いタレントとの交友

大のお笑い好きで知られる。歌手でありながらお笑いタレントとの親交が深くタモリビートたけし明石家さんま島田紳助横山ノック上岡龍太郎せんだみつお爆笑問題ダウンタウン博多華丸・大吉品川庄司ライセンス藤原一裕や、アッコファミリーの松村邦洋出川哲朗勝俣州和カンニング竹山有吉弘行ますだおかだよゐこ陣内智則などと親交がある。

タモリとは『金曜10時!うわさのチャンネル!!』で共演して以来、親交がある。笑っていいとも!テレフォンショッキングでは番組開始から5日目の1982年10月8日に初出演しており、同コーナーにおいて、単独最多出演ゲスト(22回)である。またタモリ、ビートたけし、明石家さんまのお笑いBIG3とも親交が深く、ドラマ和田アキ子殺人事件では3人と共演している。

上記親交のある芸人の中でも特にデビュー当時の島田紳助は、元不良ということもあり非常に悪い態度だった。しかし、ある番組のゲストとして紳助が来た際に、彼の芸能人としての大きな可能性を和田は予感し、自身が司会を務める『歌のトップテン』で共演。また楽屋を同じ部屋にするなど、自らしつけ係を買って出た。このことがきっかけで紳助とは自他認める弟分という意味も込めた親友的な存在となり、自身の悩み等いろいろと相談できる間柄となった[3]。『歌のトップテン』、『B.C.ビューティー・コロシアム』では司会コンビを組む(『毛髪クリニックリーブ21』のCMでも共演)。

元芸能人で、『ラブアタック!』などで共演した横山ノックや上岡龍太郎とも親交がある。上岡とは大阪にいた頃からの友人で[38]、横山ノックも素人時代から芸能界入りしても面倒を見たため「親代わり」や「保護者」と和田自身が語り、ノックもこれを容認していた。このこともあり、横山と上岡が司会をしていた『ラブアタック!』の司会に和田が3人目の司会者として就任する際には、当時準メイン司会者だった横山は和田にその座を譲り、自らはサブ司会者に降格し、以後番組終了まで横山は和田のサポートしていた。

出川哲朗が『徹子の部屋』にゲスト出演した際に黒柳徹子と対談した際の内容によると、出川を楽屋に呼び出した後、見られるのが恥ずかしいという理由で、楽屋に居たスタッフやマネージャーを全員退出させてからバレンタインチョコを渡すという一面もあるという。
その他の交友

政治家の安倍晋三とは食事をする場所が同じということなどの共通点から親交があった。晋三の父親の安倍晋太郎にも可愛がられていたという[39]
その他エピソード

1972年に日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した際、待機する客席で名前を呼ばれた瞬間号泣して興奮状態となり、そばに座っていた沢田研二(同賞の候補者の一人)の腕を思わずつかみ、無関係の彼を連れたまま壇上に上がるという一幕があった[12]

1973年からのバラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』では「ゴッド姉ちゃん」として、せんだみつお湯原昌幸ザ・デストロイヤーらとドタバタギャグを繰り広げた。姐御肌のキャラクターや、女性としては高い身長、のサイズの大きさ (27cm) などにより、和田の「デカくて・コワい・強い」というイメージが全国的に広まった。しかしその後、「ゴッド姉ちゃん」のイメージ定着を嫌ったことや、1978年(昭和53年)放送開始のドラマ『翔べ! 必殺うらごろし』(朝日放送製作、テレビ朝日系列へネット)への出演などがあり、歌手活動とテレビ番組出演との両立が困難になったことから、歌手に専念したいとの意向で、日本テレビへ強引に降板を申し入れた。


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