和歌山毒物カレー事件
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被告人となった林 眞須美(以下「眞須美」と言う)は刑事裁判無罪を訴えたが、第一審和歌山地裁で死刑判決を受け[16]控訴上告も棄却されたため[17][18]2009年(平成21年)5月19日最高裁判所で死刑が確定[9][10]、林は戦後日本で11人目の女性死刑囚となった[19]2020年令和2年)9月27日時点で[20]、林は死刑囚死刑確定者)として大阪拘置所収監されている[21]冤罪の可能性を指摘する声もあり、林は事件から25年となる2023年(令和5年)7月時点で第2次再審請求中である(詳細は後述[22]

地域の夏祭りでの毒物混入事件であり、不特定多数の住民らを殺傷するという残忍性、当初の「集団食中毒」から、「青酸化合物混入[注 3]」、「ヒ素混入」と原因の見立てや報道が二転、三転したこと、住民らの疑心暗鬼や犯人に関する密告合戦、さらには住民の数を上回るマスメディア関係者が2か月以上も居座り続けるという異常な報道態勢などが連日伝えられた[23]
事件の経緯
毒物混入まで[24]

眞須美の属する自治会では、1992年度から恒例行事として夏祭りを開催してきており、1998年度も、7月25日にこれを行うことになった。そして、同年6月30日に自治会長宅で行われた役員班長会議において、食べ物としてカレーやおでんを提供すること、カレー等は、自治会の女性役員や班長方の女性が中心になって、当日8時30分から夏祭り会場隣の住民宅ガレージ内で調理すること、調理後は、当日12時から夏祭りが始まる18時までの間、1班から5班までの班長が1時間ずつ交代で見張り(子供が鍋を倒したりするのを防ぐ為)をすることなどが決められた[注 4]

眞須美は、当時、自治会内の1班の班長をしており、上記会議には出席していたものの、同じ班から役員(婦人部部長)に選出されていた住民Aに対し、「当日午前中のカレー等の調理には行けないが、12時から13時までの見張りには行く」と告げていた。

夏祭り当日の午前中、眞須美は、6時30分頃?8時30分頃までの間、入院先の病院で精密検査を受けていた。一方、ガレージでは、8時30分頃から近隣の主婦十数名が集まり、カレー等の調理に当たっていたが、その際、集まった主婦らの間では、林宅からその南側を流れる用水路にゴミが投棄されたり、夜中にピアノを弾いたりするので困るといった話題が交わされた。

カレー等の調理がほぼ一段落した12時頃、ガレージ内には、Aら6名の主婦がいた。Aは、その頃、他の主婦から眞須美が見張りに来てくれるかどうかを聞かれ、これに対し、Aとしては、眞須美が午前中の調理を理由もなくサボったと思っていたこともあって、「朝調理に来なかったから、来るかどうか分からへんわ」とやや興奮気味の調子で答えた。眞須美は、その直後ガレージに現れた。

その場にいた主婦らは、誰も眞須美に挨拶をせず、ガレージの中は気まずい雰囲気が漂った。眞須美は、Aに「(カレー鍋の)火を付けて混ぜておかんでいいの」と話しかけたが、Aは、「混ぜやんでいいんやで、見てるだけでいいんやで」と言った。さらに、眞須美は、Aに「氷どうなってんのかな」と聞いたので、Aは、眞須美が班長としての仕事まで押し付けようとしていると思って、腹を立て、「氷のことまで知らんわ。作ってくれているかどうか行って聞いてきて」とやや強い調子で答えた。眞須美は、少しあわてた様子でガレージを出ていき、1班に属する数軒の家庭に氷を作っているかどうかを聞いて回った。

眞須美がガレージを出ていくのと前後して、他の主婦らも自宅に帰り、ガレージ内には住民A1人となった。Aは、眞須美にきつく言いすぎたと思い、眞須美人が戻ってきたら、できるだけ普通に話しかけようと思っていた。

眞須美は、10分くらい後にガレージに戻ってきて、Aとカレー鍋等の見張りを始めた。Aは、眞須美に「暑かったやろう」と声を掛け、午前中の出来事や午後の予定などを話そうとしたが、眞須美は、ほとんど返事をせず、話を聞いていないような素振りを見せた。Aは、普段よく話をする眞須美が何も話そうとしないので、気まずい気持ちになり、眞須美に、夫の食事の準備をしなければならないので帰ってもいいかと尋ねた。眞須美は、普段の調子に戻り、「行って行って」と言って、Aを帰らせた[注 5]

Aは、同日12時20分頃、ガレージを出ていったが、それとほぼ入れ違いに、眞須美の次女がガレージに現れ、眞須美と何か話をした後、すぐに出ていった。また、これと前後して、ガレージ内にいた眞須美の長男と三女もガレージから出ていった。そして眞須美は、その時から同日13時頃までの間、1人でカレー鍋の見張りしていた際に、殺意を持って青紙コップに半分以上入った亜ヒ酸を東鍋カレーの中に混入させた。
被害発生事件現場周辺の航空写真(2008年撮影)。オレンジ枠で囲われた場所が事件現場の空き地(和歌山市園部1013番地の5)[1]、水色の★印はカレーが調理されていたガレージの箇所。赤枠で囲った場所は林眞須美の家(和歌山市園部1014番地の1)[25]の跡地。『朝日新聞』 (2017) を参考に作成[26]

1998年7月25日、和歌山県和歌山市園部地区の新興住宅地にある自治会(和歌山市園部第14自治会)が開いた夏祭り[注 1][27]、出されたカレーライスを食べた未成年者30人を含む合計67人[注 6][3]腹痛吐き気などを訴えて病院に搬送された[12]。異変に気付いた人が「カレー、ストップ!」とスタッフに提供を直ちに止めるよう命じ、一連の嘔吐がカレーによるものと発覚した。

中毒症状を起こした被害者67人のうち、計4人が死亡した[7]。死亡した被害者4人は、園部第14自治会の自治会長を務めていた男性A(当時64歳)、副会長の男性B(当時53歳)、和歌山市立有功小学校4年生の男子児童C(当時10歳)、そして私立開智高校1年生の女子生徒D(16歳)である[7]。被害者は会場で食べた人や、自宅に持ち帰って食べた人などで、嘔吐した場所も様々だった。

和歌山県警察および[12]和歌山市保健所は事件発生当初、集団食中毒を疑っていた[注 7][29]が、和歌山県警科学捜査研究所が被害者の吐瀉物や容器に残っていたカレーを検査したところ、青酸化合物の反応が検出された[12]。和歌山県警捜査一課は「何者かが毒物を混入した無差別殺人事件の疑いが強い」と断定し、和歌山東警察署に捜査本部を設置した[7]
毒物

※青酸反応については、被害者の吐瀉物に含まれていたチオシアン(タマネギに含まれる)を前処理により除去しなかった為に反応したことが後に判明している[30]

事件発生当初、死亡した自治会長Aの遺体を和歌山県立医科大学において司法解剖した結果、心臓の血液や胃の内容物から青酸化合物が検出されたため、死因を青酸化合物中毒と判断[7]


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