下座音楽では撥と表記する。桴の材質は、硬い桴には樫や欅が使われ、柔らかい桴には檜、杉、樅が使われる[6]。太鼓踊り
のような民俗芸能では、竹や柳の長桴を使うこともある。桴は単に太鼓の皮を叩くための太鼓の付属品ではなく、太鼓の縁や桴同士を叩き合わせて音を出す、一種の打楽器である[6]。 和太鼓の支持方法には、補助器具を用いない直置型または手持型、台などに固定する設置型と釣型がある[7]。 移動可能な和太鼓の場合、片手で持つ携帯型、身体に吊る紐固定型、棒で担ぐ荷い型、台車に載せる曳太鼓型、山車や屋台に固定して移動する曳山型、大人数で担いで移動する舁山型(かきやまがた)がある[7]。「太鼓台」も参照 和太鼓の発音方法には、手で直接打つ手打、片手の一本バチ、両手の二本バチがある[7]。 和太鼓の打面角度は水平、垂直、斜め(急または緩)に分けられる[7]。 移動可能な和太鼓の場合、片手で持つ携帯型、身体に吊る紐固定型、棒で担ぐ荷い型、台車に載せる曳太鼓型、山車や屋台に固定して移動する曳山型、大人数で担いで移動する舁山型(かきやまがた)がある[7]。 打楽器の歴史は古く、日本での太鼓の歴史は紀元前500年頃に遡る[1]。 日本神話の天岩戸の場面でも桶を伏せて音を鳴らしたと伝えられている。長野県茅野市にある尖石遺跡では、皮を張って太鼓として使用されていたのではないかと推定される土器(有孔鍔付土器)も出土している。群馬県佐波郡境町の前橋天神山古墳から「太鼓を打つ人物埴輪」像が出土し、古墳時代(3世紀末から6世紀)には日本に太鼓が存在していたことがわかっている[8][9][1]。 中世に入ると、田楽などの発達などによってお囃子太鼓が隆盛した。戦国時代になると、戦国大名達が自軍の統率をとるために太鼓を利用した陣太鼓 江戸時代には祭礼行事の伴奏としての太鼓演奏のほかに、太鼓好きが集まって太鼓を打つ「のら打ち」なども行なわれ、昭和初期(1930年代)には太鼓の技術や芸を競う太鼓打ち競技会なども現れた[11]。1943年には小倉祇園太鼓が登場する映画『無法松の一生』がヒットし、クライマックスの太鼓打ちシーンが人々に強い印象を残し、その後何度もリメイクされるほど人気を博した。また、温泉地などで観光客向けに地元の太鼓を披露するようにもなった[11]。第二次大戦後の1951年に、明治時代に途絶えていた御諏訪太鼓が小口大八によって復元された際に、多数の太鼓だけで演奏する組太鼓スタイルが考案され、1970年代以降、創作和太鼓の鬼太鼓座、鼓童といったプロの組太鼓集団の出現と流行をきっかけとして、各地にアマチュアの和太鼓グループが無数に誕生し、バブル期のふるさと創生一億円事業や宝くじ助成金などの経済的支援を背景に、町おこしや青少年の育成などに和太鼓が用いられる一方、和太鼓集団の海外公演を通じて欧米をはじめとする世界中に知られるに至った[9][11]。 雅楽では管弦に用いる楽太鼓と、舞楽で用いる大太鼓(だだいこ)とがある[12]。舞台の正面に構えられる。楽節の終わりごとに太鼓の一撃が入り、楽曲全体を統率する重要な要素である。また見た目も支柱の漆塗りをはじめ本体にも色とりどりの装飾が施されている。外側を朱色の火炎が取り巻いていることから、火焔太鼓とも呼ばれる。 神道では古くから太鼓が多く用いられた。神楽(囃子)などにその一端が見られる。単体での演奏の他、篠笛などと組み合わせる演奏も多く見られる。仏教では、法華宗・日蓮宗の団扇太鼓以外では、真言宗などで、護摩焚きの時の般若心経などの読経時に太鼓を使う(法楽太鼓)他は、もっぱら木魚(法華宗・日蓮宗では木柾)と鈴が使われるが、大規模な行事には銅鑼や鉦鼓などと一緒に太鼓が用いられる。 このほか仏教と神道の境界が曖昧である農村信仰として、田楽やイタコの口寄せ(交霊)にも太鼓が使われることが多い。 江戸時代、歌舞伎が隆盛すると、下座音楽に使われ、効果音として取り入れられた。下座音楽における太鼓の使用方法は、打ち方によって表現する情景が高度に体系化されている。例えば細めの桴で細かく叩くと雨の音、布を巻いた桴で弱く柔らかい音を低く響かせると雪の音、それらの合間に別の桴を水平に宛て、鼓面の震えを拾ってビリビリという音をたてると雷や雪崩の音を表現するといった具合である。また幽霊の出現など、本来ありえない音響を抽象的に表現する場合にも用いられる。 戦後になってから、長野県の御諏訪太鼓がジャズドラムを参考にして、大小の太鼓をドラムセットのように組み合わせた「組太鼓」形式を開発した[13]。音程がある楽器を基本的に使わない複式複打法の組太鼓が誕生した。 1950年(昭和25年)、日本で初めて舞台興行を目的とした「福井豊年太鼓みどり会
締太鼓の桴(右)と長胴太鼓の桴
大國魂神社の御太鼓の桴(2011年5月撮影)
奏法
支持方法
発音方法
演奏姿勢
小型の和太鼓の場合、あぐら型、正座型、立奏型などがある[7]。
中型の和太鼓の場合、挟み型、開脚低位型、開脚立奏型、立奏型などがある[7]。
大型の和太鼓の場合、開脚立奏型、腰掛型などがある[7]。
奏者と太鼓の数による分類
単式単打法: 1人の奏者が1個の太鼓を演奏する。
単式複打法: 1人の奏者が複数の太鼓を演奏する。大小の太鼓や締太鼓などを使い分けることにより、音色の変化を表現できる。
複式単打法: 複数の奏者が1個の太鼓を演奏する。太鼓の両面、または大型の太鼓が用いられる。
複式複打法: 複数の奏者が複数の太鼓を演奏する。複数の異なる太鼓が複数の奏者で使い分けられることにより、集団で大胆な音色の変化を表現できる。
歴史
芸能、音楽としての太鼓文化交流の一環として、外国軍の前で和太鼓の演奏を披露する陸上自衛官舞楽「抜頭」の演奏。左奥に楽太鼓が見られる
雅楽
歌舞伎
組太鼓
新しい和太鼓時代の到来(祭り太鼓から舞台演奏へ)
創作和太鼓隆盛の時代へ詳細は「創作和太鼓」を参照
舞台興行太鼓の誕生
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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