巨大芸能グループ「バーニング」グループのトップとして、また「芸能界のドン」として知られる。 芸能界で絶対的な権力を誇り、容易に所属タレントのスキャンダルを揉み消せると言われている[3]。 現在大手芸能事務所であるアミューズには、現在の会長である大里洋吉と資金を折半して設立しており、大里に原田真二やサザンオールスターズを紹介し、サザンオールスターズの「いとしのエリー」までの版権をバーニングパブリッシャーズが持つなど設立初期の頃には深く関わり、周防はバーニングのグループ企業と認識していた。現在は特に関係はないようで、周防は「株式上場したときにも何の挨拶もなかった」「運営資金は返してもらっていない」と話している[4][5]。 趣味はゴルフ[6]。 戸籍上は離婚しているが、進美恵子(元妻)とは現在も内縁関係にある。実子で長男の周防彰悟(音楽プロデューサー、レーシングドライバー)は、バーニングパブリッシャーズ代表取締役。進亮(周防亮)は、Grickの代表取締役社長。
経歴
1941年(昭和16年)、千葉県市原市に生誕。
1960年(昭和35年)、市川高等学校を卒業。
当時千葉県議会議員であった政治家・浜田幸一の運転手を経て、芸能プロダクション・新栄プロダクションに入社。住み込みで働きながら、北島三郎の運転手などを務めた。
1968年(昭和43年)、ホリプロダクション(ホリプロ)に転職。
1971年(昭和46年)、ホリプロダクションを退社し、自らの芸能事務所 「国際プロダクション」を設立。同社はその後、所属歌手第1号であった本郷直樹のデビュー曲 『燃える恋人(1971年発売)』にちなんで、「バーニングプロダクション」と改称。郷ひろみや小泉今日子、細川たかし、加藤雅也、藤原紀香ら輩出し、芸能界における絶対的権力を掌握し、動向を左右する存在になった[3]。
1973年(昭和48年)、バーニングパブリッシャーズを設立し、音楽著作権ビジネスに進出。
1994年(平成6年)、バンクスを設立し、外食産業ビジネスに進出。
人物
家族
脚注[脚注の使い方]^ ⇒会社代表者 周防郁雄 株式会社バーニングプロダクション(会社概要)平成22年8月9日閲覧
^ ⇒取締役 周防郁雄 株式会社オフィスプロペラ(会社概要)平成22年8月9日閲覧
^ a b “バーニングプロダクション・周防郁雄社長、“ドンが揉み消したスキャンダル5選” (2019年10月27日)
^ “バーニング社長・周防郁雄氏が初めて語る「芸能界と私」(田崎 健太) @gendai_biz
^ “バーニング社長・周防郁雄氏が初めて語る「芸能界と私」(田崎 健太) @gendai_biz”. 現代ビジネス. 2022年3月13日閲覧。
^ “"芸能界のドン"バーニング・周防社長の誕生日コンペに大物続々 - サイゾー - GREE ニュース”. GREEニュース アーカイブ. 2022年3月20日閲覧。
関連項目
川村龍夫
外部リンク
⇒株式会社 バーニングプロダクション
⇒株式会社福家書店
⇒株式会社バンクス
⇒株式会社 オフィスプロペラ
⇒株式会社ファーンウッド