また同作において、アメリカの配給会社ミラマックスの元、北米でも公開されると日本映画としては異例の成功も収め、放送映画批評家協会賞やナショナル・ボード・オブ・レビュー賞などの全米各地の映画賞で外国語映画賞を受賞した(ただし、アカデミー外国語映画賞には日本代表としては選出されず、その他の部門でのノミネートもならなかった)。
また、翌年7月には、そのミラマックスと、以後の映画製作に関するファーストルック契約を結ぶ[8](現在は失効)。 2007年に太田出版の監査役に就任[4]。映画『マルサの女』のメイキングビデオの演出を行った関係で、伊丹十三監督の名前を冠した伊丹十三賞の選考委員を務めている。 2008年、『それでもボクはやってない』が2007年度キネマ旬報ベスト・テン日本映画部門の1位に選ばれる[9]。2009年、草刈民代とともに第2回プラチナ夫婦アワードを受賞[10]。 2011年6月に発足した『新時代の刑事司法制度特別部会』の委員に選ばれ、「取り調べの全面可視化」「証拠の全面開示」「人質司法改善すること」を主張[11]。 2013年、『終の信託』で毎日映画コンクール日本映画大賞を受賞した[12]。翌2014年、山路ふみ子映画賞において第31回文化賞を受賞した[13]。 2018年3月13日より、立教大学相撲部の名誉監督に就任している[15]。 好きな映画監督は小津安二郎。「もし小津監督の存命時に会えていたとしても、憧れすぎてそばに行けないほど緊張したと思う」と語っている[6]。 個人的に印象に残っている俳優として笠智衆を挙げている。大学時代から「年を取ったら笠智衆のような年寄りになりたい」と思っているとのこと。「マルサの女2」のメイキングビデオの演出を務めた周防は、本編に出演した笠をメイキング映像としてどうしても撮りたくなり、メイキングのカメラマンに頼んで自らビデオカメラで撮影させてもらった[6]。 本人曰く「子供の頃から周りの人に喜んでもらったり笑ってもらえることが自分の幸せ。その笑いのコツを学んできたことが映画監督をやる上で役に立っている」とのこと[6]。 「Shall we ダンス?」のアメリカのキャンペーンの時に、有名女優のローレン・バコールやライザ・ミネリとダンスし感激した[6]。 幼少の頃の野球好きから、現在でも東京ヤクルトスワローズの熱狂的ファンである[1]。また幼少時は、野球選手に興味を持つと同時に寿司屋にも憧れていた[6]。
2000年代
2010年代
その他
作品
監督
映画
変態家族 兄貴の嫁さん(1984年)
マルサの女をマルサする
マルサの女IIをマルサする
ファンシイダンス(1989年)
シコふんじゃった。(1991年)
Shall we ダンス?(1996年)
それでもボクはやってない(2007年)
ダンシング・チャップリン(2011年)
終の信託(2012年)
舞妓はレディ(2014年)
カツベン!(2019年)
テレビドラマ
サラリーマン教室 係長は楽しいな(1986年)
オリジナルビデオ
大災難(1995年)
ミュージックビデオ
有頂天「カラフルメリィが降った日」(1990年)
製作
がんばっていきまっしょい(1998年)
出演
神田川淫乱戦争(1983年) - マンションの管理人 役
お墓と離婚
119(1994年) - 波楽里駐在所巡査 役
東京日和(1997年) - 郵便屋 役
著書
小説
シコふんじゃった。(1991年12月、太田出版)
Shall we ダンス?(1996年9月、幻冬舎)
エッセイ・ノンフィクション
『Shall weダンス?』アメリカを行く(1998年2月、太田出版)
スタジアムへ行こう!―周防正行のスポーツ観戦記(2000年9月、角川書店)
インド待ち(2001年3月、集英社)
アメリカ人が作った『Shall we dance?』(2005年4月、太田出版)
それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!(2007年1月、幻冬舎)
周防正行のバレエ入門(2011年4月、太田出版)
それでもボクは会議で闘う―ドキュメント刑事司法改革(2015年4月、岩波書店)
対談・インタビュー・寄稿
古田式(2001年5月、太田出版) - 古田敦也との共著
ファンの皆様おめでとうございます(2002年4月、大巧社) - 若松勉との共著
「なぜ小津だったのか」-『小津安二郎 大全』(2019年3月 朝日新聞出版)収録
受賞歴
カツベン!(2019年度)
第43回日本アカデミー賞優秀監督賞[16]
メディア出演
ETV特集「生誕120年・没後60年 小津安二郎は生きている」(2023年12月2日、NHK Eテレ)[17]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ ちなみにもし高橋に断られたら、山本晋也に頼みに行くつもりだったとのこと。[6]。
^ この5年間の下積み時代の周防の年収はたった30万?40万円ほどで、本人曰く「この作品は、5年間の低賃金の恨みつらみをこめて好き勝手に作った(笑)」とのこと。
^ 歌詞と共に流れるドラマ仕立ての映像。曲が流れる約4分間に物語をどう作るか、歌に合わせて別れなら別れでどんな映像に持っていくかを考える。周防は「映像制作のいいトレーニングになった」としている。[6]。
出典^ a b c d e f 渡辺俊雄 (2011年11月14日). “渡辺支配人のおしゃべりシネマ館「周防正行監督・Shall we ダンス?」”. BSコラム. NHKBSオンライン. 2015年7月25日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。