呉班
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張飛の死後、彼の配下だった部将として再登場[7]。劉備に使者を送って張飛が暗殺されたことを報告した後、自身も劉備の下に参陣して、夷陵の戦いに臨む軍勢に加わる。蜀の先陣を務め、進軍するごとに敵を降伏させる、孫桓朱然を敗走させるなど活躍するが、やはり史実通りに蜀軍は敗戦。呉班も危機に陥ったが、趙雲の救援で白帝城まで逃れた(第81-84回)。

その後も正史以上に出番は多く、たびたび諸葛亮の北伐に従軍し、その指示に従う。攻め寄せてきた張虎楽?の軍を伏兵として撃退する(第98回)、前衛を務め張?・戴陵の軍を誘き寄せる(第99回)、捕虜となった魏兵の装備を用い変装して曹真の軍を破る(第100回)などの活躍を見せる。しかし第5次北伐で筏部隊を率い、浮橋の焼き討ちに当たった際、伏兵の張虎・楽?軍に矢を射かけられ、戦死を遂げた(第102回)。
出典

陳寿撰、裴松之注『三国志』蜀書 楊戯伝 s:zh:三國志/卷45#季漢輔臣贊

脚注^ 司馬光資治通鑑』漢紀51によると中平5年(188年)。s:zh:資治通鑑/卷059#孝靈皇帝下中平五年(戊辰,公元一八八年)
^ つよくて、男気のあること。豪侠(ごうきょう)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書 2023-12-29閲覧
^ 『三国志』蜀書 先主伝 s:zh:三國志/卷32
^ 『三国志』呉書 陸遜伝 s:zh:三國志/卷58
^ 『三国志』蜀書 諸葛亮伝、及びその注に引く『漢晋春秋』 s:zh:三國志/卷35
^ 『三国志』蜀書 李厳伝 s:zh:三國志/卷40#李嚴
^ 『三国志演義』の版によっては第65回で名が挙がらず、この第81回が初登場となるが、いずれにせよ荊州以来の臣として扱われている。


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