呉懿
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孫の呉喬は成漢李雄に30年間(李雄の在位期間に等しい)屈しなかったという[4]
評価

季漢輔臣賛において「非常に剛毅な人物であり、博愛の心を持っていた。弱軍を率いて強敵を制圧し、危機に陥ることがなかった」と称賛されている。
三国志演義

第六十二回、
張粛が弟の張松の密書を劉璋に届け、劉備の益州取りの野心が明らかになったことで、防衛戦の総大将が必要となる。これに劉循が名乗りをあげるがそれを抑え、彼に代わる形で前線に派遣されている。この時、副官として呉蘭雷銅を推挙している。前線に着くと、早速劉?張任冷苞らと対応を協議し、冷苞の建策を取り上げ、水攻めを企てている。


第六十三回、実行部隊にも名乗りをあげた冷苞が、魏延の妨害にあい失敗。後詰として派遣されていた呉蘭・雷銅も黄忠に追い散らされ、計画は頓挫してしまう。呉懿は次の作戦を協議するが、今度は張任の建策により、彼が伏兵として外に出される事になる。張任は、たまたまやってきた?統を劉備と取り違え射殺。張任の報告により劉備を討ち取ったと思った呉懿らは、城から全軍で討って出て、劉備の軍を散々に追い散らしている。結果、劉備は諸葛亮に便りを出し、荊州の援軍を待って進軍するよう計画を立て直すことになる。守将として関羽を残し荊州から進発した諸葛亮は、張飛らを率いて益州に入ると、厳顔を打ち破っている。


第六十四回、主将が呉懿から劉循に交代し、呉懿は張任から命令される立場となっている。すでに劉備の軍による毎夜のような夜討ちに疲労し、敗勢は色濃くなっていく。事態を打開すべく、張任は劉備一人を狙って討ち取ろうとするが、張飛の軍に阻まれてしまう。降将の厳顔が行く先々の太守を調略した事で、諸葛亮の軍が僅かな期間で到着していたのである。両軍は総力戦を行ない、呉懿・劉?・呉蘭・雷銅が魏延・黄忠の二将を挟撃し、一旦は打ち破る。しかし、呉蘭・雷銅は二将を追う内に敵陣深くに入り込んで孤立し、降伏。呉懿は、張任・卓膺らと共に、劉備との最後の決戦に挑むが、張任が諸葛亮の罠にかかって生け捕りにされると、戦意を失って卓膺らとともに劉備に降伏している。張任は降る事を拒んで斬首となり、城を守っていた劉?もまた内応した張翼に殺されてしまう。劉循は成都に逃げ戻っている。呉懿は厳顔とともに劉備の軍を先導し、益州の調略を行なうことになる。


第九十一回、諸葛亮が出師の表を奏し、北伐を開始すると、呉懿は中参軍としてそれに同道する。


第九十九回、曹真に代わって司馬懿が魏の西方の司令官となると、諸葛亮は防衛計画を展開させる。呉懿は、呉班・馬忠張嶷らとともに、張?と戴陵を迎撃し、陽動の任務を成功させている。


第百回、諸葛亮の計略に従い、呉班・関興廖化とともに曹真の副将である秦良の軍を待ち伏せし、打ち破る。その後は彼らと共に降参した魏軍の兵士を率い、曹真の本陣に潜入している。しかしこの計画は、司馬懿によって埋伏の毒と見破られており、失敗してしまう。


第百二回、魏軍が渭水を下って攻めてくる事を恐れた諸葛亮の命に従い、呉班とともに橋の焼き討ちを任じられる。しかし、この計画も司馬懿によって看破されており、呉班が魏軍の待ち伏せにあって戦死、呉懿も橋の焼き討ちに失敗している。以後は登場しない。

脚注^ 「呉懿」は『華陽国志』や『三国志演義』の表記。一般的に、三国志では司馬懿の諱を避けたがために、「懿」を「壹」に変えたと解釈される。確かに三国志の魏書は司馬懿を「司馬宣王」と書くが、会話文中では「司馬懿」と書く場合もある。蜀書では地の文でも「司馬懿」と記載する場合もあり、後主伝では「呉壹」「司馬懿」、王平伝では「呉壹」「司馬宣王」と記載する。なお、呉壹は魏書・呉書では登場しない。唐の顔師古は、班壹(班超の祖先)と聶壹張遼の祖先)とを挙げて「今、流通する漢書の写本は、(司馬懿の諱を避けたと早合点して)壹を懿に改めるものが多い」と批判するが、呉壹もこの風潮から免れなかったと推測される。
^ 『呉氏統譜』は呉?と記す。
^ 『呉氏統譜』は呉教と呉彦の二子を記す。
^ a b 穆皇后伝が引く『蜀世譜』(孫盛著)による。
^華陽国志』巻六・劉先主志、「偏將軍將軍呉懿爲關中都督」。名前の序列は諸葛亮・許靖・張飛・馬超の次で魏延・李厳・馬良・楊儀の上にある

参考文献

陳寿作、三國志

羅貫中作、「三国志全訳全一冊」、村上和行訳、第三書館、1988年03月、236-243、347、377、380、387-388頁。


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