呉懿
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脚注^ 「呉懿」は『華陽国志』や『三国志演義』の表記。一般的に、三国志では司馬懿の諱を避けたがために、「懿」を「壹」に変えたと解釈される。確かに三国志の魏書は司馬懿を「司馬宣王」と書くが、会話文中では「司馬懿」と書く場合もある。蜀書では地の文でも「司馬懿」と記載する場合もあり、後主伝では「呉壹」「司馬懿」、王平伝では「呉壹」「司馬宣王」と記載する。なお、呉壹は魏書・呉書では登場しない。唐の顔師古は、班壹(班超の祖先)と聶壹張遼の祖先)とを挙げて「今、流通する漢書の写本は、(司馬懿の諱を避けたと早合点して)壹を懿に改めるものが多い」と批判するが、呉壹もこの風潮から免れなかったと推測される。
^ 『呉氏統譜』は呉?と記す。
^ 『呉氏統譜』は呉教と呉彦の二子を記す。
^ a b 穆皇后伝が引く『蜀世譜』(孫盛著)による。
^華陽国志』巻六・劉先主志、「偏將軍將軍呉懿爲關中都督」。名前の序列は諸葛亮・許靖・張飛・馬超の次で魏延・李厳・馬良・楊儀の上にある

参考文献

陳寿作、三國志

羅貫中作、「三国志全訳全一冊」、村上和行訳、第三書館、1988年03月、236-243、347、377、380、387-388頁。

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