呂秀蓮
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結局、連戦・宋楚瑜コンビに3万票あまりの僅差で辛勝し、同年5月20日副総統に留任した[1]。2期目就任後まもなく、中米3カ国を歴訪している。2005年には民主太平洋連盟を創立、現在も理事長を務めている。

副総統在任中は「二つの中国」を公然と主張し、「一つの中国が中華人民共和国のことを指すなら、台湾人は当然中国人ではない」といった発言をするなど、歯に衣を着せぬ物言いがしばしば中国を刺激し、李登輝、陳水扁らと並び、中国から台湾独立派の急先鋒として「国の恥」などと激しい非難を浴びた。

2007年9月21日、首長特別費(交際費)を偽造した領収書で引き出し、不正に使用したとして横領罪などの容疑で、游錫?民進党主席、陳唐山国家安全会議秘書らと共に検察当局(最高検察署)に起訴された。その後、逮捕された陳水扁前総統に対しては批判的なスタンスをとっている。

副総統退任後まもない2008年6月に訪日し、「日本BPW連合会設立50周年記念フォーラム」に出席、日本の政界関係者とも会談した。2009年1月には、新聞「玉山午報」を創刊する意向を表明[2]。また、1990年以来2度目の中国訪問にも意欲を示しており、中国側も歓迎の意向を表明している[3]
その他

兄は弁護士の呂伝勝[4]朱立倫とは遠い親戚である[5]
脚注[脚注の使い方]^ 当初、この狙撃事件が同情票につながったとする説(自作自演説)が流れたが、台湾では浮動票が極めて少なく、世論調査にも狙撃事件の投票行動に対する影響は現れていないことから、否定する見解も有力である。
^http://japanese.rti.org.tw/Content/GetSingleNews.aspx?ContentID=74479[リンク切れ]
^ “ ⇒【ニュース】呂秀蓮前副総統が中国訪問に意欲”. 台湾の声 (2009年3月7日). 2011年11月16日閲覧。
^ “呂秀蓮兄長呂傳勝過世 臉書悲憶美麗島大審哥哥辯護翻案往事|蘋果新聞網|蘋果日報” (中国語). AppleDaily (2021年1月26日). 2022年9月2日閲覧。
^ “挺朱立倫進總統府?呂秀蓮隔日改口「開玩笑的」” (中国語). 民視新聞網 (2021年3月21日). 2022年9月2日閲覧。

 中華民国

先代
連戦中華民国副総統
2000年 - 2008年次代
蕭万長

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