吾峠呼世晴
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ごとうげ こよはる吾峠 呼世晴
生誕 (1989-05-05)
1989年5月5日(35歳)
日本福岡県
職業漫画家
活動期間2014年 -
ジャンル少年漫画
代表作『鬼滅の刃
受賞

第70回JUMPトレジャー新人漫画賞佳作(『過狩り狩り』)

第2回野間出版文化賞

第71回芸術選奨新人賞(『鬼滅の刃』)

第25回手塚治虫文化賞特別賞(『鬼滅の刃』)

第50回日本漫画家協会賞コミック部門大賞(『鬼滅の刃』)

サイン
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吾峠 呼世晴 (ごとうげ こよはる、1989年5月5日[1] - )は、日本漫画家。代表作は『鬼滅の刃[2]福岡県出身[3]
経歴

「小さい頃から動物に嫌われるし絵が下手でした」と画集のあとがきで明かしており、笑われてしまうこともあったため人に絵を見せたくなかったという。高校3年生の時に初めて漫画の制作を試みたが、何をどうしていいのかわからず全く描けなかった[4]

読み切り漫画を描く上で参考にしていた作品として、『日本昔話』、『藤子・F・不二雄SF短編集』、『寄生獣』、『必殺仕事人』を挙げている[5]

また「初めて投稿するまでに何作・何ページ描いたか?」という質問に対して、「いっぱい描いたと思いますが算数が苦手なので計算ができません」と答えている[5]
『過狩り狩り』

吾峠は2013年までに初めての読切作品『過狩り狩り』(かがりがり)を描いた。

吾峠本人は「どうせダメだろう」と考えて処分するつもりで描いてみたが、家族から「どうせなら一番好きな雑誌に送ってみたら」と後押しされ、集英社の『週刊少年ジャンプ』にダメ元で初めて投稿した[6]

同作は明治から大正時代の日本を舞台とし、「」と「鬼狩り」との戦いを描く作品であった。当時の編集者にとっての第一印象はあまり目立っておらず、「まだ、漫画の基礎がなっておらず、はっきりいって迷いました」とのちの取材で語った。しかし扉絵で主人公の顔が隠されているなどの意外性と才能のある構成によって、ジャンプ編集部内では話題になった[7][8]。結果、同作は第70回JUMPトレジャー新人漫画賞(2013年4月期、審査員:篠原健太)で「佳作」を受賞した[9]
『文殊史郎兄弟』

その後、長編作品のネームを次々と執筆した。初代担当編集者である大西恒平は吾峠へ何度も「ダメ出し」を行って不採用としたが、吾峠は諦めずに何度も新たなネームを制作した。毎月1本以上のペースで、合計5作品程度を提出した[10]

『過狩り狩り』では個性を評価されながらも「万人向けではない」と指摘されていたが、多くのネームを描いたことでその欠点が徐々に克服されていったという[10]

続いて執筆した『文殊史郎兄弟』が『少年ジャンプNEXT!!』(集英社)2014 vol.2に掲載され、商業誌デビューを果たした。大西は同作を見て「化けたな」と評した[10]

この号に掲載されている新人作家の作品の中では唯一センターカラーを獲得しており、同じ号でデビューした漫画家に芥見下々戸塚慶文齋藤勁吾がいる。
『肋骨さん』

さらに読切作品『肋骨さん』が『週刊少年ジャンプ』2014年39号に掲載された。同作は第9回『金未来杯』にエントリーされた[11]

上記作品らの評判は、読者の人気・編集部の判断ともに「悪くはないが、もう一つ人気が欲しいといったところ」だったという[6]
苦境

しかし、その後は連載用のネームがなかなか通らない[注釈 1]時期が続いた。吾峠は「2015年の間に連載を獲れなければ漫画家を辞める」という意気込みで制作にあたり、新たに『蠅庭のジグザグ』続いて『鈍痛風車』(どんつうかざぐるま)の連載ネームを執筆した。しかし、2作とも連載会議に落選して不採用となってしまい、あとがない状況に陥ってしまう[6][12]
『鬼殺の流』

そこで、担当編集者の片山達彦が「原点回帰」を提案した。片山は「作家性を活かすためにマニアックな方向に寄りすぎた」と反省し、「ジャンプの対象読者である小学生・中学生・高校生が読んで理解できることが重要」と考えて、吾峠の第1作『過狩り狩り』にあった「大正時代」「吸血鬼」「」という要素を盛り込むことを提起した[注釈 2][6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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