瀬戸内海式気候区の気候で、温暖ではあるが、雨が少ない。「吹田」の地名は「水田」から来ていると考えられるほど、かつての稲作地帯ではあるが、昔から雨が少ないことは多数のため池が象徴的に表している。
2004年度の統計で、晴天が223日で、0.1mm以上の降水日は87日である。
年度平均気温最高気温最低気温平均湿度平均風速降水総量 ※新暦導入以前(1872年以前)の日付は和暦による旧暦。丸括弧内は西暦で、1581年以前はユリウス暦、1582年以降はグレゴリオ暦。
200017.7℃38.3℃?0.5℃67%1.6m/s1139.6mm
200118.5℃40.2℃?1.3℃66%1.6m/s1032.0mm
200217.6℃38.1℃?2.7℃66%1.6m/s829.0mm
200317.4℃36.3℃?2.8℃68%1.5m/s1421.0mm
200418.5℃38.6℃?1.8℃64%1.5m/s1365.5mm
隣接する自治体cf. 大阪府の市町村全図 :≪外部リンク≫ “ ⇒大阪府”. (公式ウェブサイト). 国土地理院. 2011年8月2日閲覧。cf. 大阪府の市町村全図 :≪外部リンク≫ “ ⇒大阪府 地図”. Mapion 都道府県地図(ウェブサイト). Mapion. 2011年8月2日閲覧。
茨木市:東部から北東部にかけて隣接。吹田ジャンクションに重なるような形で茨木市小坪井という飛び地が存在する。これは埋め立てられ縮小した茨木市の池(八丁池)の名残りである。
箕面市:北部で隣接。
豊中市:西部で隣接。千里丘陵から服部緑地にかけては市街地の中に境界が走っており、南部は高川が境界となっている。
大阪市:南部で東淀川区および淀川区と隣接。基本的に神崎川が境界となっているが、川を挟んで数か所、互いに張り出してる箇所がある。
摂津市:東部で隣接。
市内の地域cf. ≪外部リンク≫ “ ⇒吹田市(大阪府)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. 2011年8月2日閲覧。cf. ≪外部リンク≫ “ ⇒吹田市”. (公式ウェブサイト). 日本郵便. 2011年8月2日閲覧。
地名の由来
吹田の地名の由来は吹田大宮高浜神社に伝わる。5世紀前後の頃、河内国次田邑の豪族 次田連(スキタムラジ/【新撰姓氏録】には吹田連)一族が淀川を渡り、次田村を興したのが「吹田」の始まり。吹田大宮高浜神社はその次田連一族の氏神神社で、祖神の火明命(天照国照彦天火明串玉饒速日尊)、とその息子の天香具山命(高倉下命)の二柱を祀る。社名の高浜とは吹田の別名である。異説では、深田が吹田になったとも、水田庄から吹田になったとも云われている。
「吹」を「すい」と読むのは音読み。「吹」の字を含み、音読みの「スイ」と読ませる熟語としては「吹鳴(すいめい)」「吹奏楽(すいそうがく)」「鼓吹(こすい)」などがある[注釈 1]。
「吸田市」は誤記。
歴史
有史以前
ステゴドン[注釈 2]の下顎骨の化石が市内2箇所で発見されている。
後期旧石器時代:市域にある遺跡から石器が発見されており、この頃から人が住んでいたことが分かる。
縄文時代:吉志部遺跡で石の鍬などが発見されている。
弥生時代:弥生土器が、垂水遺跡・五反島遺跡など、市内数箇所で発見されている。
古墳時代初期:垂水西原古墳が築かれた。
古墳時代後期:吉志部古墳、出口古墳、新芦屋古墳が築かれる。またこの頃、当地域(現・吹田市域)では須恵器がたくさん焼かれていた。
近世以前
古代
常光円満寺泉殿宮
5世紀前後の頃、河内国次田邑の豪族「次田連(スキタムラジ)・【新選姓氏録】には吹田連」一族が淀川を渡り、次田邑(吹田村)を興した。(高浜神社の歴史参照)
雄略天皇21年(499年頃)天照大神の神勅により豊受大神を丹波国から伊勢に遷宮する途中、山田の大神木(現在の尺谷17丁目辺り。尺谷(シャクタニ)は“仮宮の谷”が“借宮の谷”に誤記されたものが省略された呼称)に仮宮を建て1年余り鎮座した。(元伊勢伝承の一つ)
安閑天皇元年(534年、古墳時代後期):三島の県主が天皇に当地域(現・吹田市域相当)内の40町を献上したと『日本書紀』に記載されている。
奈良時代:「次田堀川」(すきたのほりかわ)の記述が行基年譜に見受けられる。行基が吹田に堀川や垂水布施所を築いた。