君原健二
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翌1992年からは八幡西区にある九州女子短期大学で教鞭をとりながら地域貢献活動をおこなった。九州女子短大を2001年に退職したあとは講演活動や市民マラソンへのゲスト出場をしている。1997年から2009年まで北九州市教育委員、2009年4月より2012年まで、北九州市立大学の特任教授(非常勤)を務めた。日本のマラソン界の将来について君原は「わたしたちの時代は努力でカバーできていた。ケニア選手たちの走りを見ると、努力が及ばない素質の問題になる」と悲観的な見方を示している[8]

今でも毎年円谷幸吉の墓参は欠かさず、東京オリンピックへのトレーニング中の思い出にまつわるビールを墓石にかけることが習慣となっている[11]。2021年に行われた東京オリンピック聖火リレーでは、円谷の故郷である須賀川市を走った[12]
マラソン成績

自己最高記録…2時間13分25秒(1969年4月)

年月大会名タイム順位備考
1962.12
朝日国際マラソン2:18:013位
1963.02別府大分毎日マラソン2:16:194位
1963.05毎日マラソン2:20:24.8優勝東京五輪のコースで開催
1963.10朝日国際マラソン2:18:012位東京五輪のコースで開催(プレ・オリンピックを兼ねる)
1964.04毎日マラソン2:17:11.4優勝東京五輪のコースで開催、東京五輪代表選考会
1964.10東京オリンピック2:19:498位五輪初出場、入賞ならず
1966.02別府大分毎日マラソン2:15:283位
1966.04ボストンマラソン2:17:11優勝海外初制覇
1966.06毎日マラソン2:37:577位
1966.09玉造松江毎日マラソン2:20:27優勝
1966.10ソウル国際マラソン2:19:573位
1966.12アジア大会(バンコク)2:33:22優勝アジア大会初優勝
1967.02別府大分毎日マラソン2:13:33優勝当時国内最高記録
1967.08タイムスマラソン2:20:16優勝
1967.10プレ・オリンピック(メキシコシティ)2:21:572位
1968.02別府大分毎日マラソン2:16:323位
1968.04毎日マラソン2:14:463位メキシコ五輪代表選考会
1968.06ポリテクニック・ハリアーズ・マラソン2:15:15優勝
1968.10メキシコシティーオリンピック2:23:312位五輪銀メダル獲得
1969.04アテネ国際マラソン2:13:252位自己最高記録
1969.07マクソールマラソン2:23:257位
1970.02別府大分毎日マラソン2:17:12優勝
1970.04毎日マラソン2:22:147位
1970.10コシチェ国際平和マラソン2:18:062位
1970.12アジア大会(バンコク)2:21:03優勝アジア大会2連覇達成
1971.02別府大分毎日マラソン2:16:52優勝
1971.03毎日マラソン2:28:2613位
1971.09プレ・オリンピック(ミュンヘン)2:17:002位
1971.12国際マラソン2:21:5211位
1972.03毎日マラソン2:21:062位ミュンヘン五輪代表選考会
1972.10ミュンヘンオリンピック2:16:275位五輪2大会連続入賞
1972.12国際マラソン2:15:525位
1973.02別府大分毎日マラソン2:14:55優勝
1973.04アテネ国際マラソン2:19:092位
2009.03東京マラソン20093:44:593658位
2010.02東京マラソン20103:26:161831位
2011.02東京マラソン20113:42:373603位
2012.02東京マラソン20123:36:003682位
2013.02東京マラソン20133:37:573682位
2016.04ボストンマラソン4:53:14- 位同大会優勝者として50年後の特別招待で出走

上記の他、現役引退後の1970年代後半?2000年代にも数々のマラソンレースに出場している。
著書

『ぼくはなぜ走るのだろう 君原健二のマラソン人生』(
講談社、1972)

『マラソンの青春』(高橋進(共著)、時事通信社、1975/1、ISBN 978-4788775091

『マラソンの青春』(高橋進(共著)、筑摩書房ちくま少年文庫」、上記のダイジェスト版、1978/3、ISBN 978-4480045133

『君原健二のマラソン』(ランナーズ、1986/3)

『人生ランナーの条件』(佼成出版社、1992/11、ISBN 978-4333015955

『人生の走り方 あなたにも自分に合った生き方のストライドがある(Series心の健康)』(勁文社、2001/6、ISBN 978-4766938371

『君原健二聞書き ゴール無限』(助清文昭によるインタビュー、文芸社、2002/6、ISBN 978-4835541181

脚注^ 読売新聞 北九州版 2018年5月9日 P.30
^ “君原健二コラム)第8回 地元の陸上名門企業からの誘い”. 朝日新聞. (2014年11月18日). https://www.asahi.com/articles/ASGCK6KKXGCKTIPE053.html 2019年11月28日閲覧。 
^ この映画はNPO法人科学映像館のウェブサイトにて視聴することが可能である ⇒[1]
^ 君原自身は、オーバーワークと故障を繰り返すこの映画での姿を「恥さらし」のように思い、「ほとんど他人に見せたことはありません」と2010年にブログで述べている ⇒[2]
^ 「ボストンマラソン 日本、四位まで独占」 『中日新聞』1966年4月20日付夕刊、D版、1面。
^ 毎日新聞 北九州市市制50周年記念事業サイト ≫ Blog Archive メキシコ五輪 君原選手 耐えて銀(archive)、君原健二 (2015年4月27日). “君原健二コラム)第12回 もめる代表選考、自身も経験”. 朝日新聞 (朝日新聞デジタル). ⇒オリジナルの2015年11月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151103125748/http://www.asahi.com/articles/ASH4S4CDXH4STIPE019.html 2015年11月3日閲覧。


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