この条約で指定された薬物は、1条(e)の規定によりすべて「国際条約上の向精神薬」であり、付表IからIVまでの分類が存在する。批准各国は薬物を管理するための同様の法律を有するものの、条約において付表Iに分類されているLSDなどを、日本の法律上は麻薬に分類している点が、国際法と日本法で異なる。そして、第32条4項が、含有する植物の自生国における伝統的な宗教儀式への使用は規制から除外する。 古来から、精神に何らかの作用を及ぼす植物が用いられてきた。 19世紀フランスの精神科医ジャック-ジョセフ・モロー・ド・トゥールの『ハシーシュと精神病』(1845年)は向精神薬を科学的に扱った最初の研究とされる[7]。 20世紀初頭には、そのころ登場したバルビツール酸やモルヒネといった薬物が用いられた。1943年にLSDが合成され医薬品として販売されるに至ると、この薬物による研究も盛んになった。 ジョン・ケイドによるリチウムの抗躁作用の発見あるいはクロルプロマジンの合成と治療効果の発見をもって、近代における精神薬理学の幕開けとされる。
歴史
1950年代半ばまで
近代の精神薬理学の幕開け
1957年には、ベルギーの薬理学者パウル・ヤンセン(英語版) (Paul Janssen) がクロルプロマジンより優れているとされる抗精神病薬ハロペリドールを開発する。1957年に、スイスの精神科医ローラント・クーンによってイミプラミンが、精神賦活作用を有することが見いだされ、うつ病の薬物療法への道が開かれた[8]。
1960年ごろまでに、初のベンゾジアゼピン系の抗不安薬であるクロルジアゼポキシドと、その類似の化学構造を持つジアゼパムが販売されるようになる。 1971年には、国際条約である向精神薬に関する条約が、LSDや、覚醒剤やバルビツール酸系/ベンゾジアゼピン系といった乱用の危険性のある向精神薬について公布される。 1984年には、新しい世代の抗精神病薬である非定型抗精神病薬のリスペリドンが開発される。また、抗うつ薬でも、新世代のSSRI抗うつ薬が販売される。このころまでには、ベンゾジアゼピン系の薬物の依存症や副作用が問題となり、1996年にも、世界保健機関も30日までをめどに処方すべきとする報告を行った[9]。非ベンゾジアゼピン系の薬剤が販売されるに至る。 また1980年代より、既存の薬物の化学構造を修正したデザイナードラッグが合成されるようになり、その流通が問題視されるようになる。 2007年には、日本において、リタリンの不適切処方問題が表面化。うつ病がリタリンの適応症から外される。翌年に流通規制制度を設ける。
国際条約と薬物の管理
新世代の精神科治療薬とデザイナードラッグの台頭
製薬開発の停滞と規制管理の失敗フィリピンにおけるたばこ製品の包装。たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約の第11条は、誤った印象を与える用語を用いないために「ライト」といった用語の取り扱いを含めることができ、その包装において大きく明瞭で判読可能な警告を付し、面積の50%以上を占めるべきで30%を下回ることなく、また写真や絵を使うことができるとしている[10]。