名東区
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市営地下鉄東山線終点の藤が丘駅は、2005年3月に開業した[1]リニアモーターカーHSST)である愛知高速交通東部丘陵線(リニモ)の始発駅でもあり、愛知万博会場に直結していた。愛知万博が隣接する長久手市で行われた為、万博による経済的恩恵を最も強く受けた地域である。東名高速道路名古屋第二環状自動車道名古屋高速インターチェンジジャンクションがあり、国道302号名古屋環状2号線)も緑区までの区間が開通したため、東西南北いずれの方角に移動する際にも便利な位置にある。また、名古屋市中心部と名古屋ICや長久手市とを結ぶ愛知県道60号名古屋長久手線東山通[注釈 1]が本区を東西に横切っており、利便性が良い。中村区名古屋駅が名古屋の西玄関(鉄道の玄関)であるのに対して、名東区は名古屋の東玄関(道路の玄関)として交通の要衝となっている。

区内を走る名古屋市営地下鉄東山線は朝夕ラッシュ時には約2分間隔で高頻度運行されており、名古屋市中心部の地区まで約20分で到着できる交通至便な土地柄であるが、その一方で大規模な緑地公園なども点在しており、里山の面影を残す豊かな自然も多く残されている。日常的な生活環境も充実しており、コンビニエンスストアドラッグストアなどの小売店舗の数も非常に多く、利便性が高い地域である。
地理
位置

名東区は尾張丘陵の南西部に位置する。区の東南部にかけて大規模な里山も残っており、稀にイタチタヌキなどが出没する事もある。

尾張丘陵は、濃尾平野の東側、瀬戸市から大府市にかけて広がり、標高は60-120 mと起伏の少ない緩やかな丘陵地帯で、湧水湿地が分布している。

新生代第三紀新第三紀鮮新世に、濃尾平野域の東縁に当たる猿投山地から知多半島一帯の隆起に伴い形成された。古木曽川が流れ込む東海湖と呼ばれる淡水湖に堆積していた砂層、泥層、砂礫層、亜炭層に覆われている。歴史的に東隣に位置する長久手市や日進市との繋がりが深く、名東区内から東部丘陵地帯への交通の便が整備されている事もあり、日常生活において休日などは長久手や日進まで行楽や買い物[注釈 2]などのために出向く住民も少なくない。

最高地点は猪高緑地内の長久手市との境界にある親鸞山(111.6 m)である。区北部には矢田川香流川が東から西へと流れ、植田川が区東部の猪高緑地近くの調整池(長久手市卯塚1丁目)を水源として中央部を経て南端へと流れている。かつては、区内にはが点在していた。

主に高針地区や猪高地区には亜炭鉱が存在しており、明治時代から昭和20年代ごろまでは採掘が行われていた。
地形
山岳
主な山


猪高緑地 親鸞山 111.6 m

明徳公園 からす山 72.6 m

牧野ヶ池緑地 64 m

平和公園千種区)の周辺(北側約70 m - 南側約100 m)

東山公園(千種区)の周辺(北側約100 m - 南側約90 m)

三角点の高さから抽出
河川
主な河川


一級水系庄内川水系

矢田川(やだがわ):一級河川。海上の森[注釈 3]を水源とし、庄内川に合流。

香流川(かなれがわ):一級河川。長久手市岩作三ケ峯辺りを水源とし、矢田川に合流。


二級水系天白川水系

植田川(うえだがわ):二級河川。猪高緑地辺りを水源とし、天白川に合流。

前川(まえがわ):準用河川。牧野池辺りを水源とし、植田川に合流。


湖沼
主な池


牧野池(まきのいけ)

明徳池(めいとくいけ)

塚の杁池(つかのいりいけ)

デッチョ池

新池(しんいけ)

上社調節池:洪水時、植田川の水を貯留する。
名古屋市営地下鉄東山線 上社駅ターミナルビルの地下2階に設置されている。最大貯留量は約35,500 m3。平成11年に完成。

地域
地名「名古屋市の地名#名東区」を参照
気候

気候としては、他の愛知県周辺地域と同様で四季もはっきりしている。冬期は関ヶ原から吹き下ろす伊吹おろしにより風が強い日が多いが、ある程度起伏がある地域の為、尾北地方ほどの強風は吹かない。
人口

名東区の人口の推移

2000年(平成12年)153,174人
2005年(平成17年)157,205人
2010年(平成22年)161,278人
2015年(平成27年)164,335人
2020年(令和2年)164,421人

総務省統計局 国勢調査より[2]

隣接自治体・行政区
名古屋市の行政区


千種区

守山区

天白区

他の市町村


日進市

長久手市

※ 本区とは隣接していないが、本区の藤里町から尾張旭市は最短で300 mほどしか離れていない(間に守山区四軒家を挟む)。
歴史

名東区は、1975年(昭和50年)に千種区から分区独立して誕生した。区の名称は、「名古屋市の東部に位置し、区内に東名高速道路名古屋ICを有し、名古屋の東玄関にふさわしい名称」ということから「名東区」と名付けられた。区のシンボルマークも、「め」の字を名古屋インターチェンジのイメージを盛り込んでデザインされている。
古代

この地域には、縄文弥生時代より人が住んでいたと推測されている。松井町近辺より、鏃(やじり)、石槍、石斧が大量に出土しており、高間町からは甕棺(かめかん)が発見されている。(瓶井(かめい)遺跡)

また、この地域は、古墳時代から鎌倉時代の初めにかけて一大窯業生産地であった(猿投窯)。区内各地で古窯が発掘されている。

律令制下の名東区は尾張国山田郡・愛知郡に属していたと言われるが、境界が明らかでなく正確なことは不明である。山田郡に属する郷として、中嶋、海部、葉栗、丹羽、春部、山田、愛智、智多と「和名類聚抄」にある。山田郡は太閤検地の際に春部郡と愛智郡に分属して消滅した。

奈良時代、名東区は山田荘として「東大寺諸荘園文書目録」に掲載されている。西区や守山区にも散在する形を取っている。山田荘は1213年建保元年)には後鳥羽上皇に寄進されている。
中世

南北朝期には尾張は守護土岐頼康が支配し、地方武士を被官化していた。南北朝統一後、越前守護斯波義重が尾張の守護を兼任することになり、斯波氏の尾張領支配が150年続くことになる。ただし実質的に管理していたのは守護代織田氏であった。


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