寛永15年(1638年)刊行の俳諧書『毛吹草』で、諸国物産として「名塩鳥子」が挙げられており、江戸時代初期には名塩の和紙(鳥の子紙)が知られていたことがわかる。製紙業が繁栄した江戸時代、名塩は「名塩千軒」と呼ばれて繁栄した[2]。
谷野武信によれば第二次世界大戦終戦時(1945年)には名塩に25,6軒の製紙業者がいたという[13]。当時はふすま紙が良く売れたというが[13]、戦後の生活様式の変化や、名塩周辺の開発の影響を受けて生産者は減少の一途をたどった[13]。
名塩紙は1983年(昭和58年)に兵庫県無形文化財[注釈 4]に、1993年(平成5年)に兵庫県伝統的工芸品に指定された[2]。
1989年(平成元年)には、西宮市立名塩小学校の付属施設として「名塩和紙学習館」が建てられ、紙漉き体験ができるようになった[9](2002年(平成14年)より、名塩和紙学習館は西宮市郷土資料館分館と位置付けられている)。塩瀬地域の小学校(名塩・東山台・生瀬)では、紙漉きを体験する時間が設けられており、6年生は作った紙を卒業証書に使う[14][15]。
2004年(平成16年)、谷野武信(たにの・たけのぶ、雅号は谷野剛惟)が重要無形文化財「名塩雁皮紙」保持者(人間国宝)に認定された[3]。
脚注
注釈^ 名塩地区コミュニティ協議会会長。『名塩和紙の起源』を執筆した[6]。
^ 「墓」と説明されることもある[11]。
^ この際に蓮如が結んだ草庵が「名塩御坊」教行寺の起こりとされ、教行寺は蓮如創建と伝える。
^ 工芸技術分野。文化財名称は「名塩紙技術」。技術保持団体は「名塩紙技術保存会」。なお同時に加美町(現在の多可町)の「杉原紙技術」も文化財指定されている。
出典^ a b c d e f g h i j k l m n “名塩紙”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(コトバンク所収). 2019年11月19日閲覧。
^ a b c d e f g h i “名塩紙”. 兵庫県の伝統的工芸品の紹介. 兵庫県. 2019年11月19日閲覧。