営業列車による運行時間は、午前5時30分から翌日午前0時30分までの19時間である。夜間は施設の保守時間として確保されている。名城線以外の基本的に区間運転を行わない各路線でも、初電・終電は途中駅発着の列車がある[注釈 2]。
2014年の7月以降は、東山線で金曜日と祝日前日(年末年始やお盆期間を除く)に限り終電を45分間延長した。「補助金カットを防ぎたい」という局長[要出典]と、「サービスを向上させたい」という名古屋市長河村たかしの意向で、2013年12月20日と27日に試行実施を行い、2014年7月4日以降、上下各2本[注釈 3]の臨時列車を運行している。
なお、曜日ダイヤ区分のうち、東山線は原則として夏休み・冬休み(12月29日 - 1月3日を除く)・春休み期間中の平日は「学校休校期ダイヤ」を設定する。また年末年始の12月29日 - 1月3日は土休日ダイヤで運行するが、東山線については12月31日から1月3日は土休日ダイヤではなく、専用特別ダイヤ(12月31日が「大晦日ダイヤ」、正月3が日は「正月ダイヤ」)を適用する。1975年大晦日以降、毎年12月31日深夜から1月1日までの間、上飯田線以外の全路線[PR 2]で終夜運転を行っている。沿線に熱田神宮がある名城線は初詣客で混雑するため、正月3が日は大曽根 - 八事 - 新瑞橋 - 金山の区間も一部時間帯で5分間隔で運行していたが、2012年以降は通常ダイヤでの運行となっている。
沿線にイベントがある時は、臨時列車が運行されることがある。ナゴヤドームのイベントや名古屋港の花火大会が沿線で行われる名城線・名港線で運行されることがほとんどである。 名古屋市による市営地下鉄の建設計画は、人口が100万人を突破した1936年(昭和11年)に発表されたものが最初である。この計画によれば、以下の7路線約52kmを2期に渡って建設する予定であった。この計画は、地下線での計画を基本にしながら、田端 - 市役所や桜山 - 柴田などでは高架線での建設も予定されていた。 その後、1937年(昭和12年)に国鉄名古屋駅が笹島から現在の位置に移転すると、1938年(昭和13年)6月、その跡地地下に関西急行電鉄の関急名古屋駅(現:近鉄名古屋駅)が建設され、名古屋で初の地下線による鉄道が開業した。 日中戦争の長期化により名古屋市の財政は悪化したが、軍需産業都市としての発展もあり、1939年(昭和14年)に臨時名古屋市並近郊交通調査会が発足し、地下鉄計画を再検討した結果、以下の基本4路線約29kmが発表された。この基本計画のほかに将来計画として大規模な地下鉄整備計画も発表されており、実際にボーリング調査の準備まで行われたものの、第二次世界大戦開戦の影響により、計画は凍結される。 戦後になるとまず、1946年(昭和21年)1月、高速鉄道網検討用基礎案として以下の4路線約43Kmが立案された。これは、戦災復興のため将来人口を200万人と想定した都市計画として立案されたため、鉄道着工よりも鉄道用地を先行確保するのが主目的の計画であった。この計画では、平田橋、上飯田、守山、八事などで既存の鉄道との相互乗り入れが重視されていたため、現在の地下鉄路線とはかなり違う経路を通っているものが多い。 9月には名古屋市高速度鉄道協議会が設置され、これには名古屋市のほか、運輸省、内務省、戦災復興院、名鉄、近鉄も参加し、1947年(昭和22年)10月に以下の6路線約55kmの路線網を定めた。柳橋駅想像図。この時の計画では名古屋駅乗り入れとの兼ね合いや経費削減のため、市中央部でも一部区間が高架式で建設される予定だった。 1950年(昭和25年)1月19日には建設省告示第9号でこれらのうち約48.4kmが名古屋復興都市計画高速度鉄道路線網として都市計画決定された[4]。この都市計画決定は、日本国有鉄道(国鉄)名古屋駅0番ホームを借り受け、そこに地下鉄を乗り入れ、栄生まで延長して名鉄名古屋本線と相互直通運転をする計画のほか、名古屋市、名鉄、近鉄の三者の協定により、新川橋、八田、大曽根、水分橋でも相互直通運転をすることが予定されていた。
歴史
建設の経緯
一期
中村 - 覚王山
現在の中村公園駅付近 - 覚王山駅付近
田端 - 市役所 - 内田橋
現在の黒川駅付近 - 熱田神宮伝馬町駅付近
二期
桜山 - 篠原町 - 押切
現在の桜山駅付近 - あおなみ線 荒子駅東部? - 浅間町駅付近
覚王山 - 新池
現在の覚王山駅付近 - 東山公園駅付近
本山橋 - 八事
現在の本山駅付近 - 八事駅付近
押切 - 田端 - 大幸町
現在の浅間町駅付近 - 黒川駅付近 - 砂田橋駅付近
桜山 - 笠寺 - 鳴尾 - 柴田
現在の桜山駅付近 - 名鉄 本笠寺駅付近 - 名鉄 本星崎駅南部 - 名鉄 柴田駅付近
名古屋駅 - 覚王山
現在の東山線の中央部に相当。
市役所 - 熱田
現在の名城線の西部に相当。
名古屋駅 - 高辻
大部分が現在の鶴舞線の一部に相当。
大曽根駅 - 熱田
現在の名城線(4号線)とは全く別の路線。
八田 - 栄町 - 覚王山 - 守山
平田橋 - 栄町 - 八事
上飯田 - 栄町 - 八事
覚王山 - 総合運動公園
覚王山線(1号線):(八田 - )名古屋駅 - 栄町 - 田代 - 石川町
八田 - 田代間は現在の東山線の一部にほぼ相当するが、1950年1月の都市計画決定では八田 - 名古屋駅間が保留となった。名古屋駅で名鉄線との直通運転[5]が予定されたほか、保留区間の八田からは近鉄線(近鉄八田駅)との乗り入れも想定されていた[6]。田代 - 石川町間は現在の名城線本山 - 八事間のやや西側に相当する。
城北線(2号線):新川 - 市役所裏
新川(新川橋駅)で名鉄と接続し、枇杷島駅および犬山線を立体交差して市北部に進入し、名古屋城北側を回って市役所裏で熱田線と大曽根線に接続する路線[7]。
熱田線(2号線):市役所裏 - 栄町 - 金山 - 石川町
市役所裏(土居下駅付近)から南下して栄町で覚王山線と立体交差し、金山付近と熱田付近で2度国鉄・名鉄と立体交差して石川町に至る路線[8]。市役所裏 - 金山間および金山 - 熱田間の手前までは現在の名城線南西部とほぼ一致するが、熱田 - 石川町間は現在の名城線と市電路線(八熊東線・東郊線・藤成線)の中間付近を通る。
東山線(3号線):田代 - 東山
現在の東山線の一部に相当。将来構想では高針を経由して挙母(現:豊田市)に至る予定だった[9]。
大曽根線(4号線):市役所裏 - 大曽根 - 水分橋
市役所裏 - 大曽根間は名鉄瀬戸線と同一ルートを沿って大曽根で瀬戸線と接続し、北上して水分橋付近で名鉄小牧線と接続する路線[9]。
中根線(5号線):石川町 - 名市大薬学部前
石川町から名古屋市立大学薬学部前(鳴海町滝の水39[10]。現在の滝の水公園付近)に至る路線。将来構想では有松駅を経由して刈谷駅に至り、名鉄三河線(海線)沿線と名古屋市とを短絡する予定だった[9]。