名古屋市交通局
2022年(令和4年)11月には市営交通100周年を記念して、 新たに名古屋市交通局ロゴマークを制定した(作成・森旬子)[3]。ロゴマークの構成要素であるシンボルマークは「人」の形を組み合わせて交通の「交」を形成する意匠で、下段の「人」が局員によって支えられる交通システムを、上段の「人」が活動する人々によって繋がる街を表している[3]。
交通局徽章
(1922年制定)
地下鉄シンボルマーク
(1957年制定)
高速電車の章標
(1979年制定)
交通局シンボルマーク
(2022年制定)
歴史
1922年(大正11年)8月1日 : 名古屋市電気局が名古屋電気鉄道から市内線を買収し名古屋市電営業開始。
1930年(昭和5年)2月1日 : 市営バス営業開始。
1935年(昭和10年)12月28日 : 名古屋乗合自動車のバス事業を継承。
1936年(昭和11年)
5月24日 : 愛知乗合自動車のバス事業・中村電気軌道の軌道・バス事業を継承。
5月26日 : 中央乗合自動車のバス事業を継承。
1937年(昭和12年)3月1日 : 新三河鉄道の軌道・市内バス事業、下之一色電車軌道の軌道事業、築地電軌の軌道・バス事業を継承。岩塚バス・東海自動車・名古屋桴扱所のバス事業を継承。
1938年(昭和13年)2月1日 : 葵乗合自動車のバス事業を継承。
1943年(昭和18年)5月10日 : 市営トロリーバス開業。
1945年(昭和20年)10月2日 : 名古屋市交通局に改組。
1947年(昭和22年)6月1日 : 総務部、運輸部、技術部、高速度鉄道部を設置
1949年(昭和24年)4月6日 : 運輸部を業務部に、技術部を工務部、高速度鉄道部を高速度鉄道調査班に名称変更
1950年(昭和25年)8月19日 : 総務部、業務部、工務部を廃止
1951年(昭和26年)1月16日 : トロリーバス廃止。
1952年(昭和27年)11月1日 : 高速度鉄道調査班を廃止、工務課高速度調査係を設置
1954年(昭和29年)
2月25日 : 管理部、運輸部、技術部を設置
高速度鉄道建設部設置。同部の下に計画課、工事課、建設事務所設置
1956年(昭和31年)9月1日 : 建設事務所を廃止
1957年(昭和32年)
6月11日 : 運輸部に業務課、高速運輸課設置
技術部に軌道事務所、電路事務所設置
11月1日 : 高速運輸課に乗務所を設置
11月15日 : 地下鉄1号線(現・東山線)開業。
1960年(昭和35年)
5月25日 : 運輸部に名古屋駅務区、池下駅務区設置
6月1日 : 技術部に高速軌道事務所設置
1961年(昭和36年)
4月1日 : 技術部に高速電気事務所設置
4月13日 : 高速度鉄道建設部に工事事務所設置
1963年(昭和38年)6月10日 : 自動車部設置
1965年(昭和40年)
6月16日 : 運輸部を電車部に名称変更
10月15日 : 地下鉄2号線(現・名城線の一部および名港線)開業。
10月 : 名城線開業を記念し、地下鉄により親しみを持ってもらおうと名古屋市営地下鉄の歌の歌詞を一般公募。1307通の応募の中から市内在住の豊永郁夫の作品に決定。いずみたく作曲、川路英夫の歌でビクターから発売。題名は「若いサブウェイ」
1966年(昭和41年)5月1日 : 工事事務所を廃止。第1工事事務所、第2工事事務所を設置
1967年(昭和42年)
3月1日 : 乗務所を高速運転区に名称変更
池下駅務区を廃止し、金山駅務区を設置
7月1日 : 技術部と車両部を統合、施設車両部を設置
1968年(昭和43年)5月1日 : 高速軌道事務所を軌道事務所に統合
1969年(昭和44年)
3月1日 : 電車部に東山駅務区を設置
4月25日 : 1号線の愛称を東山線、2号線の愛称を名城線と決定。同年5月1日から使用開始。
1970年(昭和45年)4月1日 : 高速度鉄道建設部に、設計課を設置
1971年(昭和46年)
3月1日 : 高速運転区を東山線高速運転区・名城線高速運転区に分割
8月1日 : 高速度鉄道建設部に調査課を設置
11月20日 : 電車部に大曽根駅務区を設置
1973年(昭和48年)
4月1日 : 高速度鉄道建設部に、第3工事事務所を設置
8月24日 : 管理部を総務部に名称変更
経理部を設置
1974年(昭和49年)
3月1日 : 電車部に、池下駅務区、新瑞橋駅務区を設置
3月30日 : 地下鉄4号線(現・名城線の一部)開業。
3月31日 : 市電全廃。
4月1日 : 高速運輸課を運輸課に名称変更
電車部に運転課を設置
東山線高速運転区を東山線運転区に、名城線高速運転区を名城線運転区に名称変更
施設車両部を廃止し、車両部、施設部を設置
車両部に、名城工場設置
高速度鉄道建設部に管理課、建築課を設置
高速度鉄道建設部調査課を総務部に移管
1976年(昭和51年)5月15日 : 総務部を廃止
1977年(昭和52年)
2月1日 : 電車部に伏見駅務区を設置
3月18日 : 地下鉄鶴舞線開業。
1978年(昭和53年)
4月1日 : 経理部を廃止
管理部を設置
7つある駅務区を東山線駅務区、名城線駅務区、鶴舞線駅務区に統合
車両部と施設部を統合し、施設車両部を再設置
施設車両部に日進工場、施設事務所を設置
高速度鉄道建設部管理課を廃止
10月1日 : 電車部に鶴舞線運転区を設置
1979年(昭和54年)7月29日 : 地下鉄鶴舞線が名鉄豊田新線(現在の豊田線)と相互直通運転開始。
1985年(昭和59年)
4月1日 : 管理部を廃止
営業本部制を創設し、営業部を設置
労務部、経理部を設置
1987年(昭和62年)
4月1日 : 営業本部制を拡充し、管理部、経理部、電車部、自動車部を設置
営業部、労務部を廃止
1988年(昭和63年)3月1日 : 磁気カード「リリーカード」発売(使用開始は同年4月1日から)。
1989年(平成元年)
4月1日 : 技術本部制を創設。その下に、施設車両部、高速度鉄道建設部を設置
9月1日 : 電車部に、桜通線駅務区、桜通線運転区を設置
9月10日 : 地下鉄桜通線開業。同時に地下鉄回数券を磁気カード化し「回数券カード」となる。名古屋市営地下鉄では初の自動改札機に直接投入できる乗車カードである。
10月2日 - 「リリーカード」を基幹1号系統に試験導入。
1991年(平成3年)10月1日:「リリーカード」を市営バス全線に導入。
1992年(平成4年)4月1日:名鉄バスと共同運行する基幹2号系統で「リリーカード」と「パノラマカード」の共通利用を開始。
1993年(平成5年)8月12日 : 地下鉄鶴舞線が名鉄犬山線と相互直通運転開始。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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