名古屋テレビ塔
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現在建っている土地は当時の名古屋市助役だった田淵寿郎によって、復興のシンボルになるという理由で有償貸与されている[5]。専門分野ごとで7社もの会社が担当し、昼夜を通して工事が行われただけでなく、建設許可の際、将来「塔の直下に地下鉄を通す」ことを条件に建設が進められたため、4つの脚はわずか深さ6メートル程までしか埋め込まれておらず、将来行われる直下での地下鉄工事に備えるために4本の脚を鉄筋コンクリートのアーチで結合して固め、重心を下げる「だるま式構造」と呼ばれる工事も行われている[6][注 2]

1954年(昭和29年)6月19日竣工。翌20日に開業し、電波の発射を開始した。設計者は内藤多仲名駅地区を中心に超高層ビルが乱立する中でも、通称「名古屋のテレビ塔」「栄のテレビ塔」また単に「テレビ塔」とも呼ばれ、名古屋市中心部のシンボルとして親しまれている。

テレビ塔の建設費は、愛知県と名古屋市がそれぞれ2,000万円、名古屋鉄道などの名古屋の財界が4,000万円を出資している。さらにNHKが放送機材として4,000万円相当の鉄塔を現物で出資し、その方針に倣い中部日本放送(現・CBCテレビ)も同額で鉄塔を購入している。そのため、鉄塔にある展望台(90メートル)より上はNHK、それより下はCBCの持ち分になっている[5]

開業以来、NHK名古屋放送局総合3ch・Eテレ9ch)、CBCテレビ (5ch)、東海テレビ放送 (1ch)、名古屋テレビ放送(メーテレ/11ch)のVHF4局5波がここから地上アナログテレビの電波を送信していた[注 3]。いずれも2011年(平成23年)7月24日にアナログ放送が終了し、デジタル放送に完全移行された。地上デジタルテレビ放送の電波は、瀬戸市にある瀬戸デジタルタワーなどから送信されている。

名古屋市中心部の繁華街に位置することなどもあり、一部放送局はお天気カメラを設置している。

2012年(平成24年)に名古屋市が主催した「第1回名古屋まちなみデザインセレクション」において、「セントラルブリッジから見た名古屋テレビ塔のライトアップ」が市民投票により1位に、その他にも「オアシス21『水の宇宙船』の上と、そこから見た名古屋テレビ塔」「名古屋テレビ塔とオアシス21」がまちなみデザイン20選(第1回)に選定された[8][9]

2022年、テレビ塔としては初めて重要文化財に指定されている[10][3]
構造

高さは180.0メートル、総重量3,300トン。地上90メートルにスカイデッキ(旧称:展望台)、同100メートルに金網で囲まれたスカイバルコニー(雨ざらし。旧称:展望バルコン)がある。どちらからも名古屋市街はもちろん、御嶽山乗鞍岳中央アルプス白山伊吹山鈴鹿山脈、さらに条件が良ければ南アルプス上河内岳などの眺望が楽しめる(展望階は有料)[11]。3階にはレストランの他、娯楽コーナーや土産を販売するショップもある。

夜間にはライトアップが毎日日没30分前から深夜2時まで行われており、中でも特にセントラルパークからのレーザー光が目立つ。60周年のリニューアルに伴い2014年(平成26年)に設置されたLED照明によるライティング「煌」は、毎時0分に上から下へ、毎時30分に下から上へ、それぞれ光が流れるような仕組みになっている。

なお、地上デジタルテレビ放送はNHK・民放5局共に瀬戸市幡中町に新たに建設した瀬戸デジタルタワーを電波塔として利用している。その理由は既存の名古屋テレビ塔及び東山タワーが築50年及び30年以上経過しており、これらにデジタルテレビ用の送信アンテナを設置するには強度不足と判断されたためで、名古屋テレビ塔は2011年(平成23年)7月24日をもって電波塔としての役目を一旦終えた(東京タワーと違い、ラジオ局や業務無線のアンテナは設置されていない)が、2012年(平成24年)4月1日からスマートフォン向けマルチメディア放送の電波が送信され、再び電波塔としての役目を果たすことになったが、2016年6月30日に放送は終了している[12][13]

また、航空法51条及び51条の2により地上60メートル以上の塔や煙突は赤白塗装(昼間障害標識)が義務付けられているが、名古屋テレビ塔は同51条の制定(1960年(昭和35年)の航空法改正時に追加された)前に完成されたという理由、名古屋テレビ塔株式会社初代社長の神野金之助の抵抗、最上部に航空障害灯を設置したことで切り抜けている。そのため、完成当初から銀色塗装となっている。テレビ塔は約7年おきに塗装の塗り替えを行っている。塗り替え費用は1回につき2億円で、下塗り2回・上塗り2回の計4回行う[6]。上塗りの際には5トンの塗料が使われている[6]

2006年(平成18年)に行われた大改装により、これまで3階に設置されていたレストラン、娯楽コーナーや土産を販売するショップはなくなり、現在はレストランが入っている。4階にはギャラリーが設置され、30メートルの高さからの景色は見られなくなっている。

最上階展望スペース(100メートル地点)からエレベーターホール(30メートル地点)までは外側に設置された階段で昇降できるようになっており、「スカイウォーキング」として毎月決まった日に一般に開放されている(2006年(平成18年)の改装以前は常時開放されていた)。
歴史1961年ごろのテレビ塔

1953年昭和28年)9月19日 - 着工[注 4]

1954年(昭和29年)

6月19日 - 完成。

6月20日 - 開業。当時は東洋一の高さを誇る高層建築物であった[注 5]

8月22日 - NHK名古屋放送局が総合テレビジョンの放送をVHF5chで開始[14]


1955年(昭和30年)4月5日 - 入塔者100万人達成[注 6]

1956年(昭和31年)

6月24日 - 展望階段を使ったクライミング競争を開催(後述)。

9月1日 - NHK名古屋の周波数をVHF5chからVHF3chへ変更。

12月1日 - 中部日本放送CBCテレビ)がVHF5chで本放送開始。


1958年(昭和33年)12月25日 - 東海テレビ放送がVHF1chで本放送開始。

1961年(昭和36年) 3月27日 - NHK教育テレビジョン(現在のNHK Eテレ)の放送をVHF9chで開始[14]

1962年 (昭和37年)

4月1日 - 名古屋テレビ放送(メーテレ)がVHF11chで本放送開始。

12月24日 - NHK-FMの実験放送開始 (82.5Mc・3 kW)。当初は名古屋テレビ塔から送信し、総合テレビとアンテナを共用していた[14][16]


1964年(昭和39年) - 入塔者1,000万人達成。


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