名古屋テレビ塔
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塗り替え費用は1回につき2億円で、下塗り2回・上塗り2回の計4回行う[6]。上塗りの際には5トンの塗料が使われている[6]

2006年(平成18年)に行われた大改装により、これまで3階に設置されていたレストラン、娯楽コーナーや土産を販売するショップはなくなり、現在はレストランが入っている。4階にはギャラリーが設置され、30メートルの高さからの景色は見られなくなっている。

最上階展望スペース(100メートル地点)からエレベーターホール(30メートル地点)までは外側に設置された階段で昇降できるようになっており、「スカイウォーキング」として毎月決まった日に一般に開放されている(2006年(平成18年)の改装以前は常時開放されていた)。
歴史1961年ごろのテレビ塔

1953年昭和28年)9月19日 - 着工[注 4]

1954年(昭和29年)

6月19日 - 完成。

6月20日 - 開業。当時は東洋一の高さを誇る高層建築物であった[注 5]

8月22日 - NHK名古屋放送局が総合テレビジョンの放送をVHF5chで開始[14]


1955年(昭和30年)4月5日 - 入塔者100万人達成[注 6]

1956年(昭和31年)

6月24日 - 展望階段を使ったクライミング競争を開催(後述)。

9月1日 - NHK名古屋の周波数をVHF5chからVHF3chへ変更。

12月1日 - 中部日本放送CBCテレビ)がVHF5chで本放送開始。


1958年(昭和33年)12月25日 - 東海テレビ放送がVHF1chで本放送開始。

1961年(昭和36年) 3月27日 - NHK教育テレビジョン(現在のNHK Eテレ)の放送をVHF9chで開始[14]

1962年 (昭和37年)

4月1日 - 名古屋テレビ放送(メーテレ)がVHF11chで本放送開始。

12月24日 - NHK-FMの実験放送開始 (82.5Mc・3 kW)。当初は名古屋テレビ塔から送信し、総合テレビとアンテナを共用していた[14][16]


1964年(昭和39年) - 入塔者1,000万人達成。

1968年(昭和43年) - 地上100メートルの展望バルコン完成。

1969年(昭和44年)3月1日 - NHK-FMの本放送開始[14]

1971年(昭和46年)3月26日 - NHK-FMの送信所を東山タワーに移転する[17]

1973年(昭和48年) - ナイフ男が現れ、3人が重軽傷を負う騒ぎが発生。

同年、NHK岐阜放送局及び津放送局が相次いで総合テレビの県域放送を開始したことに伴い、NHK名古屋総合も県域放送扱いとなったが、これにあたってスピルオーバー対策(出力減力や放送パターンの変更など)は特に行われなかった[注 7]


1989年平成元年) - ライトアップ開始。

1998年(平成10年) - 入塔者3,000万人達成。

2003年(平成15年) - デイトレードで儲けた男性がテレビ塔の展望台から紙幣をばら撒く事件が発生(名古屋ドル紙幣ばら撒き事件)。

2005年(平成17年)7月12日 - 文部科学大臣により「国土の景観に寄与しているもの」[注 8]として、国の登録有形文化財(第23-0188号)に登録[20]

2006年(平成18年) - レストランや土産売場があったフロアを改装し、名古屋を基盤としたレストラン「ゼットン」が入居。名古屋の名所や放送文化を紹介するコーナーも設置。

2008年(平成20年) - NPO法人地域活性化支援センターが主催する恋人の聖地に認定される。

2011年(平成23年)

7月24日 - アナログ放送終了。

12月7日 - 1回目のアナログアンテナの撤去工事が開始された[21]


2012年(平成24年)

4月1日 - マルチメディア放送・NOTTVが本放送開始。テレビ塔での新規放送開始は1962年(昭和37年)同日の名古屋放送以来50年ぶり。


2014年(平成26年)

6月19日 - ライトアップ照明を1万1,000個使用したLED照明に切り替え、この日点灯式が行われる。新しいライトアップの名称は「煌」(きらめき)。

6月20日 - 開業60周年。当日は開業当時と同じ50円で展望台に入ることができ、3,000人が入場した。


2016年(平成26年)6月30日 - マルチメディア放送・NOTTVが放送終了。

2019年(平成31年)1月7日 - 耐震工事及び施設リニューアルのために休業[22][23]

2020年令和2年)

2月 - 免震装置の据え付け(4カ所に各7台)が上旬に完了し、25日に報道各社へ公開[24]。 

9月18日 - リニューアルオープン[22][23][25]

10月1日 - 4階・5階にホテル「THE TOWER HOTEL NAGOYA」が開業。


2021年(令和3年)5月1日 - 中部電力との施設命名権(ネーミングライツ)を締結したことにより、呼称を「中部電力 MIRAI TOWER」(ちゅうぶでんりょくミライタワー)とした[4]

2022年(令和4年)

10月12日 - 文化審議会が名古屋テレビ塔など9件の建造物を重要文化財に指定するよう文部科学相に答申した[10]。テレビ塔の重文指定は初となる[10]

12月12日 - 国の重要文化財に指定[3]


クライミング競争

1956年(昭和31年)6月24日に松下電工(現・パナソニック)主催で展望階段を利用したクライミング競争が行われ、60人が参加したが、途中で酸欠者、ゴール後に倒れ込んで嘔吐をする者が続出したため、医者からドクターストップがかかり、以降行われることはなかった。

そのクライミング競争で優勝したのは、当時21歳の青年だった近藤陽洲で[26]、後に彼は2010年(平成22年)にマレーシアクアラルンプールで行われたアジア・マスターズ陸上において、ハンマー投砲丸投円盤投やり投の4種目のいずれも75 - 79歳の部で優勝しており[26][27]、このうち砲丸投げに関しては2013年(平成25年)3月末時点で「M75クラス」における日本記録、そしてアジア記録の保持者となっている[28]


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