吉田理保子
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女ばかりだと女らしい子はますます女らしく、男っぽいのはより男っぽくなってしまったという[2]

その頃からスジガネ入り、バレリーナになろうと3歳からバレエをしていた[2][10]。その時に「踊りには演技の勉強も必要だな」と思い出し、富士見高校時代は演劇部に所属していた[10]。知り合いにテレビ局プロデューサーがいたことがきっかけで、劇団こまどりに所属[10]

20歳ごろに、NHK教育テレビの番組『明るいなかま』に顔出しでレギュラー出演をする。だが、本人曰く「太ってきちゃって(笑)。そのままいけば結婚するシーンもさせてあげるという役だったのに、その話もなくなっちゃうくらい」「こんなに太っちゃったら映像はもう無理じゃない?」となり、吉永小百合の夫でフジテレビの岡田太郎の紹介で青二プロダクションに所属し、声優活動を開始する[1][10]。アニメのデビュー作は『アンデルセン物語[10]。初レギュラーは『ワンサくん』である[2]。初主役は『魔女っ子メグちゃん』の神崎メグ役となる[2][11]

1998年1月に声優業の第一線から引退する[11]。理由については後に、洋画でいい役や面白い役を当時立て続けに担当できたことや、現場で共演者の芝居を観て「もっとこうすれば良くなるのに……」と感じるようになりマネージャーに向いているかもしれないと考えたこと、それまでにさまざまな役を演じ「やりきった」という気持ちが大きかったことを挙げている[10]

引退後はマネージャー職を経て、キャスティング・コーディネーター、声優講師などの活動に主に携わっている[10]。声優業については過去に演じた役・再現など特殊なオファーが入った場合を除き、基本的にしない方針を採っている[11]

2006年より野沢雅子が独立して設立したオフィス野沢に移籍し、野沢のマネージャーを務めていた。2012年4月30日付けでオフィス野沢廃業後、メディアフォースに移籍しマネージャー業を務めていた[11]が、2014年2月23日、メディアフォースの破産[12]に伴い、同年3月より株式会社ディーカラーにて所属声優のキャスティングに関わる業務を行っている[7]
人物

声種メゾソプラノ[8][9]

声優としては1960年代末期から1990年代にかけて活躍。『アルプスの少女ハイジ』のクララなど当初は少女役が多かったが、1978年に『未来少年コナン』で大人の女性であるモンスリー、翌1979年には『ベルサイユのばら』でロザリー・ラ・モリエールを演じ芸域を広げた。主役級の代表作に、『魔女っ子メグちゃん』の神崎メグ、『まいっちんぐマチコ先生』麻衣マチコなどがある[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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