吉田栄作
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このコンテストに来ていた東映プロデューサーから映画ガラスの中の少女』の後藤久美子の相手役のオーディション参加を勧められ[2][7]、これにも優勝し同作で東映からでスクリーン・デビュー[2][7]、これが正式に芸能界デビューとなる[10]。また現在のワタナベエンターテインメントの社長にスカウトされて、当時の渡辺プロダクションに所属も決まる[2]

さらにレコード会社東芝EMIから独立したファンハウスレコードの社長も来ていて1989年に歌手デビューも果たし、自身でも「ビッグウェーブを感じ」、とんとん拍子に成り上がる[2][7]阿部寛風間トオルらと共にモデルやモデルオーディション上がりという、新しいタイプのイケメン俳優のハシリとなる。それまでの「モデル上がりは顔だけで中身が無い」という風潮が、彼らの俳優としての活躍により一変することとなる。

当時のトレンディドラマにも多数主演して人気を博し、1991年当時世界的に流行し始めた「クライムサスペンス」を思わせる『もう誰も愛さない』の主演は大きな反響を呼んだ[11]。自身でも「ジェットコースターのようにどんどん展開が変わる作品で、見ているときにトイレにちょっと行って戻ったらもう3年経ってた、みたいな作品でしたね。またこの作品にはすごく残虐なシーンもあり、後に流行となるドロドロ系ドラマの先駆けだったと思います」[2]、「このドラマは22歳のときだったんですが、その時点で僕が感化された浜田省吾さんの『MONEY』の歌詞のように、僕が16歳のとき思い描いていた夢が全部叶ったんです」などと述べている[7]。これが後の渡米の初期衝動となる[7]

歌手デビュー前に制作されたショートムービー『NO PROBLEM』(脚本・秋元康、監督・堤幸彦)では、オーディションで選ばれたキャリスタ・フロックハートと共演。当時キャリスタはまだデビューしたばかりだったが、後年、人気を博した彼女の主演作『アリー my Love』をテレビで見て、当時の共演者だと知り、驚いたという(「NO PROBLEM」は『Let's Get Out! ?20th Anniversary Best?』CD+DVD版に同梱のDVDに収録)。

1989年9月6日に「どうにかなるさ?Chasing My Dream」で歌手としてファンハウスからデビュー。同期歌手デビューに田中美奈子田村英里子マルシア島崎和歌子などがいる。1990年1991年NHK紅白歌合戦出場(1990年は「心の旅」、1991年は「もしも君じゃなきゃ」を歌唱)。

1990年代は加勢大周織田裕二と3人で「トレンディ御三家」「平成御三家」と呼ばれ、吉田は長男格であった。しかし、あまりにも自尊心の高さをアピールする芸風が一時一人歩きし、1995年に芸能活動を一時期休止、26歳のとき、かねてより準備していたハリウッド挑戦のため渡米[2][7]。英語に堪能となった[2]

1998年に帰国後、吉田A作に改名。ドラマ『流通戦争』(NHK)で国内での俳優業に復帰。その後、2001年10月から2年半放送された『マネーの虎』(NTV)ではタレント・司会者としても人気を博する[2]。以来、精力的にテレビドラマや新国立劇場での舞台演劇等に出演し、優れた演技で高い評価を得る。

休止していた音楽活動も、2004年8月15日に表参道FABで行われたライブより再開し、2007年にはインディーズでミニ・アルバムを発売。2009年8月5日には音楽活動20周年を記念し、「心の旅」をセルフカバーしたシングルとファンからの投票で選曲されたベスト・アルバムが同時発売された[12]。メジャー・レーベルからのCDリリースは14年ぶり。

2009年、『an・an』No.1671合併特大号で結婚12年目で、平子理沙と夫婦初共演となるツーショットを初披露した。

2015年7月15日、出身地である神奈川県秦野市の市制施行50周年記念に制作された曲「With You ありがとう」に、10年を経て60周年記念にボランティアでレコーディングに参加、「吉田栄作版」CDを2000枚制作・販売した[13]9月26日秦野たばこ祭に初出演し、本町小学校のステージで楽曲を披露した[8][14]。秦野たばこ祭りには2019年[15]2022年[16]に参加している。

2018年12月31日を以て、デビューから30年にわたって所属していたワタナベエンターテインメントとの契約を終了、退社した[17]
私生活

3年半の交際を経て、1997年モデル平子理沙と結婚。結婚直後に吉田が渡米したため、新婚直後より「別居婚」だったとも報じられた[18][注 1]

2015年12月21日、互いの仕事や生活環境の変化に伴うすれ違いを理由に離婚した[3]。(同日、所属事務所の代理人が都内区役所に離婚届を提出[20]。)

2021年11月21日女優内山理名と4年間の交際を実らせて再婚したことを明らかにした[4][21]。「一粒万倍日」のこの日をあえて選んで婚姻届を提出した[22]。大晦日には、日本武道館で開催の『ももいろ歌合戦』(BS日テレニッポン放送ABEMAなどが生中継)へ初出場[23]
人物

若い時はツッパリで有名。ナベプロに入った頃も、先輩の中山秀征とは口も利かなかったが、たまたま飛行機で一緒になり、矢沢永吉が好きという話で意気投合。しかし、矢沢への愛がどちらが強いかで言い合いになりお互い譲らなかったが、「これでもか」と吉田が矢沢の著書『成りあがり』をポケットから取り出した。なお、役者修業で渡米する時には「俺は絶対ジャンボになってやる」と言ったことがある。吉田自身は「言ったかもしれない、けど覚えてない」と述べている[2]
ディスコグラフィ
シングル

発売日タイトルc/w規格品番
ファンハウス
1st1989年9月6日どうにかなるさ -Chasing My Dream-悲しくていいさ00FD-4020
2nd1989年12月1日抱きしめたいFAR AWAYFHDF-1003
3rd1990年5月9日心の旅FeelFHDF-1023
4th1990年8月29日プラトニック -あと1センチ傘が寄ったら-Can't Say GoodbyeFHDF-1044
5th1990年11月28日導火線あいつがとまらないFHDF-1061
6th1991年2月20日V -ヴィクトリー-HARD LUCK DAYFHDF-1083


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