吉田健一_(英文学者)
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そこで1931年(昭和6年)3月に中退し[注釈 3]、帰国途中ローマに赴任していた父親を訪ねて経過を報告[11]。その後ロシアからシベリア鉄道で日本に着いた[12]。同年、親戚[注釈 4]の病気見舞に行き、河上徹太郎と識り[13][14]、以後河上に師事した。しばらくしてアテネ・フランセへ入り、フランス語ギリシャ語ラテン語を習得した[15]
文芸誌に寄稿(1935-1946)

1935年(昭和10年)6月アテネ・フランセを卒業。同年、ポーの『覚書』の訳を刊行[16]、その後『文學界』への寄稿を始め、当初はフランス文学翻訳やフランスの時事文化の流行紹介を行う。1937年(昭和12年)夏、中村光夫と識る[注釈 5]1939年(昭和14年)1月、最初の評論「ラフォルグ論」を文學界に掲載[16]。同年7月より祖父・牧野伸顕の談話記録を「松濤閑談」の題で文藝春秋に連載。同年8月、中村光夫、山本健吉伊藤信吉らと文芸同人誌批評』を創刊[16]1941年(昭和16年)5月、野上豊一郎彌生子夫妻の媒酌で大島信子と結婚。同年12月より『批評』にヴァレリーの「レオナルド・ダ・ヴィンチの方法論序説」翻訳を連載。1944年(昭和19年)5月の発行で『批評』を表向き廃刊とする。1945年(昭和20年)5月に、海軍横須賀海兵団に二等主計兵として一度召集されるも、そのまま敗戦復員し福島に住む。同年10月上京。1946年(昭和20年)5月に鎌倉市に転居。7月より牧野伸顕の談話記録『回顧録』を、中村光夫と協力し文藝春秋に掲載(文藝春秋新社で出版。年譜作成は従叔父の大久保利謙。後年に中公文庫で再刊)。
翻訳・文芸批評(1947-)

1948年(昭和23年)に中村光夫、福田恆存と3人で始めた各界の専門家を客人として招いた集いが「鉢の木会」に発展する。

主な交友関係には戦前からは河上や中村光夫・横光利一の他に、石川淳大岡昇平小林秀雄白洲正子福原麟太郎神西清・福田恆存、戦後は三島由紀夫・ドナルド・キーン篠田一士丸谷才一[注釈 6]らがいる。

1949年(昭和24年)4月、折口信夫による招請もあり、國學院大學非常勤講師となる。同年5月より日英交流のための団体、あるびよん・くらぶに参加[注釈 7]1951年(昭和26年)5月、チャタレイ裁判弁護側証人として法廷に立つ。1953年(昭和28年)1月、東京都新宿区に転居。同年8月に福原麟太郎・河上徹太郎・池島信平と戦後初の渡英旅行。1958年(昭和33年)10月、同人雑誌『聲』発刊に参加[注釈 8]1960年(昭和35年)2月、河上徹太郎と金沢へ。以後吉田死去の年までの年中行事となる。同年12月、亀井勝一郎編集『新しいモラルの確立』に「信仰への懐疑と否定」を掲載[注釈 9]1963年(昭和38年)4月から1970年(昭和45年)3月まで中央大学文学部教授。1969年(昭和44年)7月号で創刊した『ユリイカ 詩と批評』で「ヨオロツパの世紀末」[注釈 10]を連載開始。

同年から毎年多くの著作を刊行し続けていたが、1977年(昭和52年)にヨーロッパ旅行中に体調を崩し帰国即入院 [注釈 11]、回復退院したが、8月3日に新宿区の自宅で亡くなった[20]。戒名は文瑛院涼誉健雅信楽居士[21]。同年8月5日、葬儀は近親者・友人のみで密葬が執り行われ[22]、友人代表として挨拶した河上徹太郎ラフォルグの詩『簡単な臨終』の一節を誦んだ[23]
没後

墓は神奈川県横浜市久保山墓地にある[24]。以前は父母とは同じ墓に入らず養祖父である吉田健三の墓に眠っていたが、1998年(平成10年)に娘の暁子によって改葬され[25][26]、墓石の文字は中村光夫によって書かれた[24]。新宿の邸宅は、健一の死後、2016年に売却されるまで娘の暁子(主にフランス語書籍の翻訳に携わる)が居住していた[27][28]

2016年には遺族から資料約5700点が神奈川近代文学館に寄贈され「吉田健一文庫」として保存されている[29][30]

2022年4月2日から5月22日、神奈川近代文学館にて特別展「生誕110年 吉田健一展 文學の樂み」[29][30][31]が開催された。編集委員は富士川義之[30]。初めての大規模回顧展で[32]、ケンブリッジ大学で指導を受けたルカスあての書簡[32]や、展覧会の準備中に発見された吉田満戦艦大和ノ最期』の異稿[33]が初公開された[32]ほか、鉢の木会の様子がわかる写真や書簡などが展示された[32]


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