吉本隆明
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同年には大江健三郎江藤淳による「完全責任編集」と銘打った当時の新鋭を各巻に配したアンソロジー「われらの文学」[注釈 20]という総題の文学全集全22巻が講談社から発行され、その最終巻は「江藤淳・吉本隆明」であった[注釈 21]

1968年『吉本隆明詩集 現代詩文庫8』を思潮社より刊行。同年10月、初めての著作集を全集的著作集の形で刊行することになり、『吉本隆明全著作集2初期詩篇1』を第1回配本として勁草書房から刊行。著作集は1978年まで継続して刊行された。また同年12月、『共同幻想論』を河出書房新社より刊行した。

吉本のいわゆる「理論的」書物、『言語にとって美とはなにか』(1965)『共同幻想論』(1968)『心的幻想論序説』(1971)『マス・イメージ論』(1984)といった主著への批判は刊行直後から現在に至るまでさまざまな側面からなされている[注釈 22]、核心的著作は「奪冠」されている、と論ずる評者もいる[10]
1980年代

1980年代に入ると当時の豊かな消費社会の発生と連動し、テレビや漫画・アニメなどを論じた『マス・イメージ論』や、主に都市論の『ハイ・イメージ論I?III』を発表。サブカルチャーを評価し、忌野清志郎坂本龍一ビートたけしらを評価した。また、『共同幻想論』『言語にとって美とは何か』『心的現象論序説』など、代表著作が角川文庫から刊行された。「80年代消費社会」のシンボルとなったコピーライター糸井重里とは、対談等も行って親しくなり、その後も交流が続いた。(糸井は、2008年7月19日に2千人の聴衆を集めた吉本の講演会の協力者となっている[11][注釈 23]。また、パンク・バンド、スターリンの遠藤ミチロウは、吉本隆明に強い影響を受けており、彼を非常に尊敬している。

このように1980年代当時の消費社会・サブカルチャーの興隆に棹差した流れの中で1984年、女性誌『an・an』誌上に川久保玲コム・デ・ギャルソンを着て登場。埴谷雄高から「資本主義のぼったくり商品を着ている」と批判を受けるなど、吉本の「転向」が取り沙汰される。吉本は「『進歩』や『左翼』だと思っていたものが、半世紀以上経ってみたら、表看板であるプロレタリアートの解放戦争で、資本主義国におくれをとってしまったことが明瞭になってしまった。この事実を踏まえなければ何もはじまらないというのが『現在』の課題の根底にある」「こういう『現在』の課題を踏まえることは、資本制自体を肯定することとも、資本主義には何も肯定的問題はないということとも全く違う」と応答している。なお同時期、吉本は埴谷雄高の「スターリン主義的左翼文化理念」と異なるだけで、自らを「左翼」であるとしている[13][14]

また、1981年に中野孝次らが始め、500人の文学者の署名を集め、二千万人の署名運動に発展した反核署名運動を批判。1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故から盛り上がった反原発運動も批判、「反核」が「反原発」に、そして「エコロジー」に収斂するのは、「ぞおっとするほど蒙昧だ」とした[15]。(#原発についても参照)

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}このころから、「思想家」として盛んに執筆活動をおこなうようになる[要出典]。
1990年代

冷戦構造崩壊後の1994年には、かつての自らの『転向論』を意識した「わが転向」を文藝春秋に発表[16]。日本における新保守主義の旗手と目されていた小沢一郎の『日本改造計画』を「穏健で妥当なことを言っている」と相対的に高く評価し、大きな驚きを与えた。そして「社会主義は善で資本主義は悪という言い方は成り立たない」「左翼から右翼になったわけではなく」「体制―反体制」といった意味の左翼性は必要も意味もない」「全く違った条件を持った左翼性が必要」として自らを「新・新左翼」とし、「なにか個別の問題が起ったとき、ケースバイケースで、そのつど、態度を鮮明にすればいい」「そのつどのイエス・ノーが時代を動かす」、と述べた[注釈 24]

また同時期には、現在の社会を、第三次産業が発展し、空気や天然水といった、値段が付かない、と考えられていたものすら、商品として売られる消費社会が成熟した「超資本主義」[17]の段階にはいり、「マルクス経済学が述べている資本主義は、消費過剰になったときに、もう終わってしまって、マルクス経済学が通じない段階になってしまった」[18]とした。そして、日本の一般民衆は中流意識が91%をしめているが、過去の流れから推測して99%になるのは遠くない。そうなると国家社会に特別の要求はなくなり、したがって関心も理想も切実にはいらなくなる。そのとき今の資本主義は終わる。いま先進国の本当の課題は、近代以降命脈を保ってきた民族国家をいつどうやって死なせたらいいのか、ということだ」と述べた[19]

1995年に起った阪神・淡路大震災オウム真理教地下鉄サリン事件にかんしては、「日本の切れ目を象徴」し、とくにオウムの無差別テロは「一世紀のうちに、何回も起らない20世紀ではソ連の崩壊に次ぐほどの大事件、ここで戦後民主主義がいかに無力だったかということが誰の目にもあきらかになり、戦後の左翼運動のあらゆるラジカリズムー過激な反体制運動が全部超えられた」としている[20]

1992年オウム真理教の麻原彰晃ヨーガを中心とした原始仏教修行の内実の記述者として評価していた[21] ことから、1995年オウム真理教事件発生後は中沢新一らとともにオウムの擁護者であると批判された[22]


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