吉川進
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プロデュース最終作品の『超光戦士シャンゼリオン』では、サブプロデューサーの白倉伸一郎に作品の実質的な采配を任せていたが、白倉によると原因は定かでないものの第5話か第6話の制作当時に吉川とかなり激しく衝突し、それ以来吉川と白倉は一切口を利かなくなったという[15]が、直後の5月に行われた映画『キカイダー REBOOT』のシークレット試写においても吉川が招かれ、吉川からは造型に対して合格点が出されたと白倉は語っている[16]

ヒーローが悪役を倒した後、悪役の倒れた姿は決して画面に出さないように徹底していたが、これは児童層への暴力描写を抑えると同時に、「悪は死んでいない」という正邪相克の永続性を意識したうえでの配慮であるという[8]

作品作りでは、イタリアで多くの名作を手掛けたフェデリコ・フェリーニ監督の「自分のやりたいことをやりたいようにして、良い作品を作るのはさほど難しいことではない。難しいのは、やりたいことをやりたいように作りながら、それをコマーシャルベースに乗せることだ」という言葉を、常に念頭に置いていた[17]

仮面ライダーBLACK

以下は『仮面ライダーBLACK』および『BLACK RX』絡みのエピソードである。

当時、プロデューサー補を務めた寺成紀によると、各回のサブタイトルのほとんどは吉川が考案したものであり、これについて吉川は「新聞のテレビ欄に載るサブタイトルひとつで視聴率が変わることがありますから、気にしていたとは思います」と述懐している[13]

原作者の石ノ森章太郎に対し、「新しい仮面ライダーを作りますから、今までのライダーに関わったスタッフは一切入れません」と宣言している[13]。また、戦闘員との立ち回りが廃されたのも、やはり「従来のライダーバトルとは大きく変えたい」という吉川の意向と言われている。

撮影監督の松村文雄によると、当初は吉川から依頼を受けた際、松村は『あぶない刑事』を担当しており、そちらの現場が思いのほか楽しかったために断りを入れたが、「お前がやらないなら一体誰がやるんだ!」と怒鳴られたという。結果的に、仮面ライダーシリーズに関わったことのない小林義明がパイロット監督を務めるなどの魅力にも惹かれるなどし、松村は楽しく現場に携わっていた『あぶない刑事』を途中降板し、チーフ撮影監督に就任している[18]

当時、まだ新人脚本家だった荒川稔久が提出するプロットが上原正三のものに似たものばかりだったことから、吉川は「上原正三は2人もいらないんだよ」と一喝した。結局、この後は独自の作風に意識的になったそうで、後年に上原との対談でこのエピソードに触れたり[19]、エッセイでこの件について記したり[20]するなど、荒川にとってはエポックメイキングな出来事になったようである。

長坂秀佳が脚本に参加しようと旧知の東映・齋藤頼照プロデューサーを通して吉川にアプローチしたところ、「ギャラが高過ぎるから無理」という理由で断っている。

パイロットグループの監督の小林義明辻理が時間をかけて撮影したため、スケジュールがキツくなったときに参加した小笠原猛にはいきなり「8日間で2本撮れ」と要求した。小笠原が「それなりの作品しかできませんけど、よろしいですか」と答えたところ、吉川もそれを了承したという。小笠原の作品はそういった状況で作られた点を考慮し、いつも吉川は評価をしてくれたという[21]

1992年に刊行された書籍『仮面ライダー大図鑑〈7〉』によれば、バンダイには『BLACK RX』の後番組の検討資料が残されており[要ページ番号]、吉川も終了後のインタビューにおいて「当初は3年続ける予定だった[22]のに、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}テレビ局がニュースを増やしたために終了して残念だ」とコメントしている[要出典]。

作品
テレビ

日本剣客伝

新・日本剣客伝

あひるヶ丘77フジテレビ系)

ブラックチェンバー(フジテレビ系)

特命捜査室(フジテレビ系)

冠婚葬祭屋(1972年1月8日 - 4月1日、NET(現:テレビ朝日)系)

人造人間キカイダー(1972年7月8日 - 1973年5月5日、NET系)

キカイダー01(1973年5月12日 - 1974年3月30日、NET系)

ザ・ボディガード(1974年、NET系)

ザ★ゴリラ7(1975年、NET系)※途中まで

五街道まっしぐら!(1976年、NET系)※企画

透明ドリちゃん(1978年1月7日 - 7月1日 テレビ朝日系)

スパイダーマン (東映)(1978年5月17日 - 1979年3月14日、東京12チャンネル(現・テレビ東京))

スーパー戦隊シリーズ(旧NET・テレビ朝日系)

秘密戦隊ゴレンジャー(1975年4月5日 - 1977年3月26日)

ジャッカー電撃隊(1977年4月9日 - 1977年12月24日)

バトルフィーバーJ(1979年2月3日 - 1980年1月26日)

電子戦隊デンジマン(1980年2月3日 - 1981年1月31日)

太陽戦隊サンバルカン(1981年2月7日 - 1982年1月30日)

大戦隊ゴーグルファイブ(1982年2月6日 - 1983年1月29日)[注釈 2]

忍者戦隊カクレンジャー(1994年2月18日?1995年2月24日)

超力戦隊オーレンジャー(1995年3月3日?1996年2月23日)


メタルヒーローシリーズ(テレビ朝日系)

宇宙刑事ギャバン(1982年3月5日 - 1983年2月25日)

宇宙刑事シャリバン(1983年3月4日 - 1984年2月24日)

宇宙刑事シャイダー(1984年3月2日 - 1985年3月8日)

巨獣特捜ジャスピオン(1985年3月15日 - 1986年3月24日)

時空戦士スピルバン(1986年4月7日 - 1987年3月9日)

超人機メタルダー(1987年3月16日 - 1988年1月17日)

世界忍者戦ジライヤ(1988年1月24日 - 1989年1月22日)

機動刑事ジバン(1989年1月29日 - 1990年1月28日)[注釈 3]


機甲艦隊ダイラガーXV (1982年、テレビ東京系)

星雲仮面マシンマン前半まで(1984年、日本テレビ系)

ビデオ戦士レザリオン(1984年、TBS系)[注釈 4]

仮面ライダーシリーズ毎日放送系)

仮面ライダーBLACK(1987年10月4日 - 1988年10月9日)

仮面ライダーBLACK RX(1988年10月23日 - 1989年9月24日)


超光戦士シャンゼリオン(1996年4月3日 - 1996年12月25日、テレビ東京系)

映画

※上記作品の映画版は除く

仮面ライダーZO(1993年4月17日封切り。東映スーパーヒーローフェア) - 企画

仮面ライダーJ(1994年4月16日封切り。東映スーパーヒーローフェア) - 企画

人造人間ハカイダー(1995年4月15日封切り。東映スーパーヒーローフェア) - プロデューサー

Vシネマ

女バトルコップ1990年11月9日


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