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出典検索?: "吉備団子"
室町時代に広まったとされる桃太郎の話と、和菓子としての吉備団子には直接的な関係はないが、岡山が地元を桃太郎伝説のふるさととして創出する一環として[19][注 7]、現在は、駅販売で双方をリンクさせた宣伝がされ、桃太郎の絵がパッケージに印刷された製品も店頭に並ぶ。
最近の製品は黍の割合がかなり低く、使用していない商品もある。また整形もオートメーション化されていることが多い。
同じく岡山県の特産品であるマスカットのシロップを包み込んだ「マスカットきびだんご」や、白桃のシロップを包み込んだ「白桃きびだんご」、吉備団子にきな粉をまぶした「きなこきびだんご」など、数種類のバリエーション商品がある[20]。
B&Bの漫才の中で広島のもみじまんじゅうと共にネタの一つになっていた。
脚注
補注^ 山月堂は「黍」を使っていないを謳ってきた。(後述)
^ なお、志田 1941, 『日本の伝説と童話』、312頁は、廣榮堂から得た情報として、1853年(嘉永6年)頃に作り始められ、1855年(安政2年)頃に吉備団子の名が付いたことを紹介している。
^ 2人目は、岡山市・旧高砂町の信楽焼商売の名代で[5]同じ滋賀県物産である伊吹山のモグサも商っていたらしい[6][7]。3人目は、岡山市紙屋町の笹野一方(篠野一方とも。通称「腮鬚長(あぎとのひげなが) 」)という狂歌師[6][7]。
^ 岡長平の記述:「この相歓堂は、「武伴」の隠居〈十代目武田伴蔵秀治(明治34年[1901年]歿、年81)〉の雅号で妾に商売さしてたことが判った(福田梅子刀自聞書)」[5]。
^ 岡長平は、まず黍の団子では(まずくて日持ちがしないから?)商売には不向きだし、土産用にならないとする。また、歌人藤原忠朝(1893年没)が書いた相歓堂の宣伝を読んでも掻き餅だと判るとする[5]。
^ しかし藤井駿は、今となっては宮内飴のレシピがわからないことなどから、自らこの考えを論拠が曖昧であるともしている。
^ 吉備津神社で祭られている大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)が桃太郎だったという説もある。
出典^ 西川五郎、大井次三郎 (1965)、平凡社『世界百科事典』5:694 「きび」の項。「岡山名産のキビだんごは、..」
^ Kahara 2004, p. 43 "When used to refer to a local specialty of Okayama, [K]ibi-dango has always meant both millet dumplings of the Momotaro story and a dumpling of the Kibi region. In Japanese language, words like this are often made from two homonymic words."
^ 新村, 出, ed (1991). 広辞苑 (4版 ed.). "【吉備団子】求肥(ぎゆうひ)を..丸め、白砂糖をまぶした団子.." )
^ 吉備団子, , 日本大百科全書 (小学館), (2001)
^ a b c d e f g h i 岡 1986, pp. 142?144
^ a b c d 市川俊介『おかやまの桃太郎』 233巻、日本文教出版〈岡山文庫〉、2005年、83-85頁。https://books.google.co.jp/books?id=ojjjAAAAMAAJ。
^ a b c d e f g ⇒きびだんご・和菓子 廣榮堂本店 廣榮堂本店、2013年5月3日閲覧。
^ Kahara 2004, 42頁、脚注8
^ 武田 1895, p. 3
^ a b 太郎良裕子『岡山の和菓子』 209巻、日本文教出版〈岡山文庫〉、2001年、33頁。https://books.google.co.jp/books?id=Gv2xAAAAIAAJ。
^ 武田 1895
^ a b 谷口澄夫『岡山県の歴史』児玉幸多監修、山川出版社〈<県史シリーズ>〉、1970年、64頁。https://books.google.co.jp/books?id=Gv2xAAAAIAAJ。 ; 1984年、付録46頁。
^ 市川俊介『おかやまの桃太郎』 233巻、日本文教出版〈岡山文庫〉、2005年、83-85頁。https://books.google.co.jp/books?id=ojjjAAAAMAAJ。
^ 藤井駿 『吉備地方史の研究』 山陽新聞社、1980年、91-92頁。
^ a b c d 鈴木勇一郎 『おみやげと鉄道 名物で語る日本近代史』 講談社、2013年、47-52頁
^ Kahara, Nahoko (2004). “From Folktale Hero to Local Symbol: The Transformation of Momotaro (the Peach Boy) in the Creation of a Local Culture”. Waseda Journal of Asian Studies 25: 35-. https://books.google.co.jp/books?id=ExAOAQAAMAAJ.