吉井和哉
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同年のツアー最終日、12月28日の日本武道館ではダチョウ倶楽部がゲスト出演し、「マサユメ」を演奏。これがmasa-yumeの最初で最後のステージとなった。

2012年1月31日、渋谷公会堂での奥田民生のツアー最終日のアンコールに斉藤和義ともにサプライズで登場。「息子」をセッション。本来は斉藤のツアーに奥田が飛び入りで出演したことへの恩返しなので、吉井は無関係だったが、プライベートで観にきていたところを駆り出された[1]

2012年4月、雑誌『bridge』でONE OK ROCKTakaと対談。

2014年11月18日、THE YELLOW MONKEY時代にデビューから1996年まで在籍した古巣のレコード会社、日本コロムビア・TRIADレーベルへの移籍を発表。

2016年1月8日、THE YELLOW MONKEY再集結に参加[2]

2019年4月2日から放映開始のサッポロビールビール風新ジャンルアルコール飲料「サッポロ 本格辛口〈REAL DRY〉」のCMに起用される。テレビCM初出演[3]

2022年1月に喉の不調でツアーを中止して以降、約1年9ヶ月の間、バンド、ソロともに新規の公演は行われず、ソロでリリース予定だったオリジナルアルバムの発売もなかったが、2023年10月11日、自身の公式サイトにて自身の健康状態について声帯ポリープの手術を3回受けた後に大学病院での精密検査で喉頭癌であることが判明したこと、癌は根治したとしながらも療養明けに新曲のレコーディングを行った後でも喉の状態が芳しくなく、万全の状態に程遠いことなどを公表し、2023年12月28日に行われる予定だったTHE YELLOW MONKEYの日本武道館公演を中止することを発表した[4]

2024年4月27日に開催されたTHE YELLOW MONKEYの約3年半ぶりとなる東京ドーム公演「THE YELLOW MONKEY SUPER BIG EGG 2024“SHINE ON”」において2年3か月ぶりにステージ復帰[5]
人物

デヴィッド・ボウイに影響を受けており、「僕はデヴィッド・ボウイになりたかった。もっと言えばデヴィッド・ボウイになるために、僕はTHE YELLOW MONKEYを結成したと言っても過言ではない」と語っている[6]

THE YELLOW MONKEYの楽曲『Love Communication』『JAM』では自らミュージック・ビデオ監督を担当している。映像作家の丹修一は「90年代、いろいろ仕事をしてきましたけど吉井さんにはすごく影響を受けました。映像に関してすごく思い入れのある方でした」と評価している[7]

オーディオマニアで、自宅には数百万円のオーディオシステムが組まれている。バンド活動休止後に名盤と言われるレコードを改めて聴き直した時、今までは気付かなかった自分の作品とのクオリティの差を痛感し、一時期は音楽を辞めようとまで思っていたという[8]

趣味は釣り。主に、バスフィッシングを小学5年生の頃からしている[9]。「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の芸能人釣り選手権にも2回出演しており、奥田民生と2人でCSの釣番組[10]に出演したこともある。モバイルサイトのブログでは、琵琶湖で釣りをしている報告が多々されている。

映画「崖の上のポニョ」に登場するフジモトに似ているとファンの間で話題になり、2008年の年末武道館公演では実際にフジモトのコスプレでステージ登板し、菊地英昭と共にポニョテーマソングの替え歌を歌いファンを沸かせた[11]

奥田民生スピッツ草野マサムネポルノグラフィティ岡野昭仁Mr.Children桜井和寿斉藤和義ウルフルズトータス松本TRICERATOPSレミオロメン9mm Parabellum Bullet毛皮のマリーズ志磨遼平ONE OK ROCKTakaRADWIMPS野田洋次郎などと親交がある。

父は元・旅芸人[12][13]。自身が5歳の時に26歳で早逝[9]しているものの、現在の風貌や嗜好などが父の影響を受けている旨公言している。

様々な人が三島由紀夫について書いた本を読むことが好きで、自分の持っている美意識ナルシシズム右的かもしれないと語っている[14]。実際日本武道館でTHE YELLOW MONKEYの楽曲「悲しきASIAN BOY」を演奏する際には天井に吊るされている日の丸に敬礼をするパフォーマンスを行っている[15]

中学を卒業してすぐに静岡の繁華街にあった「地中海」という喫茶店でアルバイトしていた。その2階にある「カフェ・ド・ロペ」という喫茶店の店員仲間達とサザンオールスターズのコピーバンドを組み、一度だけレコード屋の小ホールでライブを行った経験がある。その時はギターを担当していた[16]。プロのミュージシャンになってからはボーカルの桑田佳祐とも雑誌で対談をする間柄になった[17]。また、2014年にはサザンの楽曲「天国オン・ザ・ビーチ」のミュージック・ビデオにゲスト出演している[18]。吉井は思い出のサザンの曲として「C調言葉に御用心」を挙げている[16]

デビューと同時期にTHE YELLOW MONKEYの衣裳デザイナーの女性と廣瀬洋一および大森常正の立ち会いのもと結婚。その後、三女一男をもうける[9]が、離婚[13]。THE YELLOW MONKEY代表楽曲の一つである「JAM」は、娘への想いを作詞したものであること等、結婚生活の中からヒントを得て曲の作詞を行っていたことが本人の口から語られている[9]

2015年9月、タレント眞鍋かをりと再婚[19][20][21][22][23]。10月には二人の間に子が生まれている[24]

中学時代は太っていたので、母と伯母は吉井を相撲部屋に入門させようかと相談していた[25]

ディスコグラフィー

※2003年 - 2005年にリリースされた作品は全て「YOSHII LOVINSON」名義
シングル

 発売日タイトル形態規格品番オリコン最高位初収録アルバム
1st2003年10月1日
TALICCCDTOCT-46222位at the BLACK HOLE
2nd2004年1月9日SWEET CANDY RAINCDTOCT-4677
3rd2004年7月28日トブヨウニCDTOCT-47478位WHITE ROOM
4th2005年1月13日CALL MECDTOCT-48102位
5th2006年1月25日BEAUTIFULCDTOCT-49569位39108
6th2007年5月23日WINNERCDTOCT-401045位Hummingbird in Forest of Space
7th2007年7月25日Shine and EternityCDTOCT-401236位
8th2007年8月22日シュレッダーCDTOCT-401349位
9th2007年12月19日バッカCD+DVDTOCT-401784位
CDTOCT-40179
10th2009年1月28日ビルマニアCDTOCT-402434位VOLT
11th2011年2月16日LOVE & PEACECDTOCT-450415位The Apples
12th2012年8月29日点描のしくみCDTOCT-4505415位18
13th2015年1月28日クリアCDCOCA-169676位STARLIGHT


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