各務原市
[Wikipedia|▼Menu]
中山道宿場町鵜沼宿)として栄え、近現代には自衛隊岐阜基地などに関連する工業都市として発展した。今日では岐阜市名古屋市ベッドタウンとなっており、人口は岐阜県で岐阜市、大垣市に続いて3番目である[1]

岐阜大学農学部跡地に造られた各務原市民公園をはじめとする多数の大規模な公園緑地があり、まちづくりの政策として「パークシティ」(公園都市)を掲げている。2005年(平成17年)には「緑の都市賞」内閣総理大臣賞を受賞した[2]。新境川堤の桜並木は全国的にも有名である。

市章・市旗の由来は、各務原市の「各」の字を模式化したものだが、4つの菱形が市発足当時の旧構成町(旧那加町、蘇原町、鵜沼町、稲羽町)の4町を表し、4町が緊密に協力し合い、市の発展に繋げていくという願いを込めて制定された[3]

市外局番は大半の地域で058(岐阜MA。岐阜市や羽島市羽島郡瑞穂市(一部を除く)、本巣市の一部[注釈 1]本巣郡北方町と同じ)を使っているが[注釈 2]、川島地区は0586(一宮MA[注釈 3]。一宮市や稲沢市の一部と同じ)である。
地理新境川堤学びの森河川環境楽園

北部から東部にかけては俗に各務原アルプスと呼ばれる標高200-300mの秩父古生層砂岩チャート層山地が広がり、南部を木曽川が流れ、愛知県との県境となっている。市の中心部には標高30?60mの各務原台地が広がり、極めて水はけの良い洪積層黒ぼく土壌であるため稲作には不向きで、鵜沼宿などの宿場町や街道沿いに街があったほかは、明治期までは大部分が原野であった。名鉄六軒二十軒という駅名や、溜め池の苧ヶ瀬池は当時の名残である。明治以降は、このような広大な原野と水はけの良すぎる土壌を生かす形で、軍事基地や演習場、かつては岐阜大学の農学部と工学部がおかれ、機械や紡績の工場、少ない水で成長する人参などの生産が主産業となった。山地は古生代?中生代チャートが主体で、堅いチャートが浸食されずに残ったもので、山地が空中写真で“>”という形に褶曲していることが確認できる。鵜沼地域の木曽川の岸からは、ジュラ紀放散虫化石が豊富に見つかり[4]、“Unuma”と命名された放散虫もあるほどである。

2004年に合併した旧川島町や旧稲羽町の南側は木曽川によって運ばれた沖積層の平地が広がっている。古くから木曽川が氾濫しやすい地域で、洪水が発生するたびに地形が変わる幾つかの川中島で形成されていた。昭和20年代の木曽川上流改修工事でようやく現在の河川流域に定まり、木曽川が3つの流路に分けられ、三派川と呼ばれている。北派川は乗越堤(越流堤)で木曽川本流からは締め切られている。通常時は新境川流路となるが異常増水時は木曽川本流から分流する。南派川は愛知県との県境となっている。地域としては、岐阜地区に分類される。

河川:木曽川境川新境川大安寺川

用水:羽島用水各務用水


湖沼:苧ヶ瀬池(おがせいけ)、東島池

山:権現山伊木山三井山各務山、各務原アルプス(金毘羅山、迫間山、向山、権現山などのある山並みの通称)

隣接する自治体

北:
関市

東:加茂郡坂祝町

西:岐阜市羽島郡笠松町岐南町(笠松町地内の木曽川流域に飛び地がある)

南:愛知県一宮市江南市犬山市丹羽郡扶桑町
各務原市中心部周辺の空中写真。市中心部の南側に航空自衛隊岐阜基地がある。1987年撮影の9枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
地名
町名

各務原市の地名を参照
地名の表記・発音

市発足から50年以上を経た現在でも、難読市名とされると同時に、この地の表記・発音は一貫していない。市名としては「各務原」(かかみがはら)を採用し、各務原市はこの表記・発音の使用を公共機関・市内企業・市内進出の企業に要請している。名古屋鉄道は各務原線の発音をそれまでの「各務原」(かがみはら)から変更してこれに準じたが、JR東海は現在も駅名に「各務ヶ原」(かがみがはら)を使用している。一方で、岐阜県立各務原高校は「各務原」(かかみはら)としているなど、公共機関ですら一貫していない。

各務原市民や近隣市町の住民の間でも「かかみはら」「かがみはら」「かかみがはら」「かがみがはら」の呼称が使われており、一貫性は無い。

2022年3月7日の岐阜新聞では、発音の詳細な分析が紹介されており、市内の南北で発音が異なるとしている。江戸時代、中山道の交通を通じて外部との接触が盛んだった各務原市南部では関西の濁音文化が反映されて「かがみ」と発音するようになった一方で、北部の集落は「各務村(かかみむら)」という呼称が定着したとしており、南部に位置する「各務ヶ原駅」と北部に位置する「各務原高校」の呼称について整合性がとれるとしている[5]

また、若者を中心に「みっぱら」と呼ばれることもある。
地名の由来諸説

地名の由来は、古代に鏡作部(かがみつくりべ、銅鏡などの鏡を作る特殊技能集団)がいたことからと言い伝えられている(『各務村史』)。また、別の説では、各務地域のほぼ中央にある村国真墨田神社に鏡作部の祖神である天糠戸命伊斯許理度売命の父神)が祀られているからとも言われている。いずれにしても、鏡が「かかみ・かかむ」から「各務」となったと言うことである。律令の時代には、「各牟」(この場合は発音は、かかむ)とも書いた[6]。2022年3月7日の岐阜新聞では、「各牟」を名乗った渡来系の豪族を由来としており、鏡作部を由来とする説は「鏡」を当て字にした俗説に過ぎないとしている一方で、日本地名研究所の所長を務めた谷川彰英は、鏡作部を由来とする説は「ほぼ定説になっている」と主張している[7]
歴史
各務原市発足まで

出典:各務原市教育委員会(編)『各務原市史 通史編 近世・近代現代』、各務原市、1987年、590-593頁。

1954年(昭和29年) - 岐阜市及び稲葉郡と羽島郡の10町村で合併し、人口30万人の岐阜市とする計画が立てられる。この町村には現在の各務原市の一部(那加町更木村など)が含まれていた。

1955年(昭和30年)

2月11日 - 羽島郡中屋村、稲葉郡更木村前宮村の3村が合併、町制施行し稲羽町が発足。

4月1日 - 稲葉郡鵜沼町と各務村が合併し、鵜沼町となる。


1957年(昭和32年)1月 - 那加町、蘇原町、鵜沼町、稲羽町、芥見村の4町1村で合併し、新市を建設する機運が高まる。

1958年(昭和33年)4月1日 - 芥見村が岐阜市に編入される。残る4町での合併の動きが始まる。

1957年(昭和32年) - 那加町の住民により那加町の岐阜市への編入の運動が、蘇原町の住民により合併反対の運動が起きる。これらの運動は話し合いなどで収束する。

1963年(昭和38年)

1月28日 - 那加町、蘇原町、鵜沼町、稲羽町の各町議会で、4町合併を議決する。

2月12日 - 岐阜県告示第67号で、各務原市の設置が告示される。

4月1日 - 各務原市が発足。


各務原市発足後

出典:“沿革|各務原市公式ウェブサイト”. 各務原市. 2021年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月11日閲覧。

1963年(昭和38年)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:123 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef