右馬寮御監
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

室町将軍鎌倉公方古河公方の歴代以外には、足利義嗣[注釈 1]足利義視[注釈 2]足利義維[注釈 3]が就任している。また、足利義輝が謀殺された永禄の変の後には、後継と目された弟の足利義昭と従弟の足利義栄との両名を、朝廷は何れも左馬頭に任じて事態の推移を見守ったこともあった。

佐竹氏岩松氏安房里見氏などのように、関東には左馬頭を自称する一族がいた。

細川典厩家が代々右馬頭・右馬助に叙任されたほか、戦国時代には毛利元就毛利輝元も右馬頭に叙任されている。
江戸時代

徳川家康は左馬寮御監に、徳川家光は右馬寮御監に叙任された。以後、右馬寮御監は徳川将軍が兼帯する官職として、最後の徳川慶喜まで慣例となった。

徳川綱重は左馬頭に、徳川綱吉は右馬頭に叙任された。

足利氏(鎌倉公方・古河公方)の後裔である喜連川氏は、左馬頭を自称することが黙認されており、歴代で数名が称している。
役職

御監(
従三位相当・令外官※)左右各一名
左馬寮御監は左近衛大将、右馬寮御監は右近衛大将の兼務。

頭(従五位上相当)左右各一名

助(正六位下相当)左右各一名

大允(正七位下相当)左右各一名

少允(従七位上相当)左右各一名

大属(従八位上相当)左右各一名

少属(従八位下相当)左右各一名

馬医(従八位上相当)左右各二名


史生 左右各二名(後四名)

馬部 左右各六十名

使部 左右各二十名

直丁 左右各二名

飼丁

脚注
注釈^ 義満の子、義持の異母弟。
^ 義教の子、義政の異母弟、義稙の父。
^ 義澄の子、義稙の養子、義晴の異母兄弟、義栄の父。

出典[脚注の使い方]^ a b 馬文化ひだか:馬用語検索:馬寮(めりょう)(2021年10月27日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project

外部リンク

『馬寮
』 - コトバンク


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:13 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef