佐竹氏や岩松氏、安房里見氏などのように、関東には左馬頭を自称する一族がいた。
細川典厩家が代々右馬頭・右馬助に叙任されたほか、戦国時代には毛利元就や毛利輝元も右馬頭に叙任されている。 徳川家康は左馬寮御監に、徳川家光は右馬寮御監に叙任された。以後、右馬寮御監は徳川将軍が兼帯する官職として、最後の徳川慶喜まで慣例となった。 足利氏(鎌倉公方・古河公方)の後裔である喜連川氏は、左馬頭を自称することが黙認されており、歴代で数名が称している。
江戸時代
役職
御監(従三位相当・令外官※)左右各一名
左馬寮御監は左近衛大将、右馬寮御監は右近衛大将の兼務。
頭(従五位上相当)左右各一名
助(正六位下相当)左右各一名
大允(正七位下相当)左右各一名
少允(従七位上相当)左右各一名
大属(従八位上相当)左右各一名
少属(従八位下相当)左右各一名
馬医(従八位上相当)左右各二名
史生 左右各二名(後四名)
馬部 左右各六十名
使部 左右各二十名
直丁 左右各二名
飼丁
脚注
注釈^ 義満の子、義持の異母弟。
^ 義教の子、義政の異母弟、義稙の父。
^ 義澄の子、義稙の養子、義晴の異母兄弟、義栄の父。
出典[脚注の使い方]^ a b 馬文化ひだか:馬用語検索:馬寮(めりょう)
外部リンク
『馬寮』 - コトバンク