史跡
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当時、遺跡保存の運動の中心にいたのは東京帝国大学国史学教室を主宰していた黒板勝美[注釈 4]であった。黒板は、遺跡保存の先進地であったイギリスに留学経験のある日本の古代史学者であり、保存すべき対象として国史学で用いられることの多かった「史蹟」の語を用いたのである。その後、史蹟名勝天然紀念物保存法は、1950年昭和25年)制定の文化財保護法に引き継がれた。
史跡指定をめぐる諸問題

この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2014年5月)

境界問題からの限界

史跡に限らず記念物は、名勝でも天然記念物でも一般に「土地に結びついた文化財」(ただし、天然記念物の動物個体指定だけは例外)であり、この場合、たとえば、古戦場跡や旧街道跡は、指定面積が限定しにくいため、境界が確定できる区域に限って史跡指定される性格をもっている。
旧跡

「史跡」の要件を満たすことが難しいものに関しては指定史跡に準ずるもので、歴史の正しい理解のために欠くことができず、その遺構に歴史的価値の痕跡が残っているもの、または旧態を推定し得るものとして旧跡という指定区分を設け、保存措置を講じている。
東京都の事例
平将門の首塚」のように伝承地としては長い歴史をもつものの、史実としては、実際に平将門の首が埋葬されたとは到底考えられないため「旧跡」となっている。「小石川御薬園」も、現在は東京大学大学院理学系研究科附属植物園となっているが、往事に植栽されたものとは内容も構成も異なっており、施設などの面でも往事の痕跡はとどめないので、東京都では「旧跡」に含めている。他の東京都指定旧跡には、練馬城跡世田谷城跡御茶ノ水などがある。
埼玉県の事例
埼玉県も「旧跡」の指定区分を採用しており、さいたま市寿能城跡行田市忍城跡、深谷市の渋沢栄一生地、富士見市難波田氏館跡が指定されている。
「開発」記録保存か遺跡保存かの問題

長屋王邸宅跡」のように保存されていれば特別史跡に指定された可能性のきわめて高い[誰?]遺跡も、発掘調査はなされたものの遺跡が破壊されてしまい「奈良そごう」(現在はミ・ナーラ)となってしまったため、「史跡」には指定されなかった。一方、三内丸山遺跡のように、発掘調査によって遺跡の重要性が判明したため、既に着工していた球技場建設を中止し、遺跡の保存を決定し、特別史跡に指定されている例などがある。
史跡指定と有形文化財指定との関係

土地は記念物(史跡など)であるが、建造物は有形文化財である。文化財保護法に基づく各文化財の指定基準による指定の例によれば、例えば姫路城を例にとると、敷地およびそれと結びついた石垣、濠等の遺構としては「特別史跡」、個々の建造物のうち、大小天守・渡櫓の8棟は「国宝」、櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟は「重要文化財」として指定されている。神戸市の「箱木家住宅」(重要文化財)のように建築史上、建物自体が重要だという遺構に関しては、史跡ではなく有形文化財国宝、重要文化財)として指定されている。ここでの指定は、いわば土地とは切り離されており、場合によっては、博物館明治村の移築建造物のように、指定はそのままで移築がなされることもある。一方、建築物として重要であるが敷地である土地や付属する井戸等も合わせて保存を図ろうとする重要文化財の例がある。それに対し、萩市の「伊藤博文旧宅」(史跡)は土地と結びついてこそ重要であるとの見地から、史跡として指定され、記念物に含められている。
陵墓および陵墓参考地

大仙陵古墳」や「誉田御廟山古墳」をはじめとする「陵墓」は、宮内庁が管理し、現在も皇室による祭祀が行われている。そのため研究者が自由に立ち入って調査することができない[注釈 5]。宮内庁により管理・保存が講じられているため、史跡等の指定の対象とされていない。このことについては、考古学研究者、歴史研究者からの根強い批判もある[3]
史跡での復元

史跡での復元事業を行う場合は文化庁の許可が必要であり、文化庁は先史時代の史跡(縄文弥生古墳時代遺跡などにおける復元竪穴建物など)については比較的、緩やかな基準であるが、中世以降の社寺や城郭などの史跡の復元に関しては絵図面や図面、古写真やその他の工事の記録文書などの客観的な資料が発見される可能性がある為、文化財保護の立場での要件を厳しくした1967年(昭和42年)以降は厳しい基準で臨んでおり、復元するに足る資料を集めて復元建造物の外観だけでなく、内部構造なども絵図面、写真、工事記録等に基づいた復元が「慎重に」という形容詞付きで求められている[4]
日本国外

世界の他の国々でも、日本と同等な活動が行われている。

アメリカ合衆国国定史跡アメリカ合衆国国定歴史建造物アメリカ合衆国国家歴史登録財

イギリス指定建造物

カナダ国定史跡

フランス歴史記念物

ポーランド国定史跡の一覧(List of Historic Monuments (Poland))

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 単に「史跡」と称した場合は、日本国指定の史跡を指しており、官報でも「史跡」と表記される。しばしば「国指定史跡」と称されるが、これは、都道府県指定史跡や市区町村指定史跡と区別した便宜的な用語である。
^ 指定基準については複数の基準にまたがるものがある。たとえば、大安寺旧境内附石橋瓦窯跡(奈良県)は、「3 社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡」と「6 交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡」の2つの基準により史跡に指定されている。
^ 「特別史跡」を含み、名勝天然記念物と重複指定されている件数を含む。
^ 史蹟名勝天然紀念物調査会、朝鮮総督府宝物古蹟名勝天然記念物保存会のほか、古社寺保存会、国宝保存会などの委員を務めた。
^ 2008年2月22日、宮内庁が管理する神功皇后陵(五社神古墳)に日本考古学協会など16学会の研究者代表らが墳丘に立ち入り調査をした。「陵墓」に学会側の立入が認められたのは初めて。(2008年2月23日「朝日新聞」)

出典^ “史跡 とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2014年5月30日閲覧。
^ 「近代の遺跡の保護について」『月刊文化財』1995年4月号、38頁。
^ 森(1996)。
^ 文化庁 文化庁月報 連載 「文化財行政の現代的な課題 」- 史跡の現地保存,凍結保存,及び復元について

参考文献

椎名慎太郎『遺跡保存を考える』岩波書店<岩波新書>、1994.1、ISBN 4004303184

田中琢「文化財保護の思想」田中琢・佐原眞『考古学の散歩道』岩波書店<岩波新書>、1993.11、ISBN 4004303125

森浩一『天皇陵古墳』大功社、1996.1、ISBN 4924899097

羽賀祥二『史蹟論―19世紀日本の地域社会と歴史意識』名古屋大学出版会、1998.10、ISBN 4815803471

文化財保護法研究会『最新改正 文化財保護法』ぎょうせい、2006.5、ISBN 4324078734

中村賢二郎『わかりやすい文化財保護制度の解説』ぎょうせい、2007.9、ISBN 4324082944

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