史学史
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注釈^ イブン・ハルドゥーンは、歴史学的な記述と、単なる出来事の報告や物語を分けるのは、広く承認されているかどうかと記述の方法論によると述べている。そして、歴史学的記述が広く承認されるかどうかは、その記述の方法論が妥当であるかどうか、批判することが可能であるかどうかによるという。すなわち、彼によれば、歴史学的記述の信頼性はそこに記載された事実の信憑性ではなく、方法論の信頼性によるのである。彼は事実の信憑性についていえば、一流の歴史家の著述であっても疑わしい部分はあるが、それはその記述の歴史学的価値にとって決定的ではないという[1]
バラクルーの「われわれが読んでいる歴史は、確かに事実に基づいているけれども、厳密にいうと、決して事実ではなく、むしろ広く認められているいくつかの判断である」[2]という言葉、E・H・カーの「歴史的事実という地位は解釈の問題に依存することになるでしょう」、「私たちが歴史を読みます場合、私たちの最初の関心事は、この書物が含んでいる事実ではなく、この書物を書いた歴史家であるべきです」[3]という言葉も同様の内容を言い換えたものである。
つまり、記述された歴史(史料)は常に記述主体(記述者・報告者・著述家・歴史家など)の取捨選択を含んでいる。ところで、過去の事実が記述という形でしか客観化されない以上、史料の示す以上の過去の事実は知ることができない。したがって、どのような取捨選択がその史料を記述する上でおこなわれているかという観点は史料を扱う際にはつねに想起されなければならない[4][5]
また、歴史家がどのような立場に立って自分が歴史を記述しているかを自覚することなしに歴史を記述しようとすれば、首尾一貫性のない歴史記述をしてしまったり、客観的に記述しているつもりでじつは主観的な記述をしてしまったりすることにつながる。したがって、歴史家は自分の主観性をむしろ積極的に意識し、その方法論の特徴と限界性を明瞭に認識した上で記述することでかえって客観的な歴史事実に近づくことができるのである[6]
すなわち、歴史研究は最終的には歴史を叙述する営みであり、そのために歴史家は単なる実証的な史料批判にとどまるのではなくて、史料を取捨選択し、一つの方法論にもとづいて新たな歴史を叙述することを求められるのである。歴史家は最終的には何らかの方法論を設定して、それにしたがって記述するのであるから、方法論の歴史を振り返り、自らの方法論について検討を加えることを怠ってはならない[7]
^ 歴史は二義性を持っており、客観的事実としての「過去の出来事」と、それを言語的に表現した「歴史記述」に分けることができる。歴史学は基本的には前者を対象とし、それを明らかにする学問であるが、前者を対象化するためには言語によって記述され客観化される必要がある。したがって、歴史学は過去の出来事を明らかにするために、それについての歴史記述をも対象とし、さらに、それを記述して新たな歴史記述を生み出す過程である。もちろん、事実としての歴史と記述された歴史の間には、観察者としての記述者、著述家の視点が存在するから、歴史記述自体は客観化されたものであってもそこに記された歴史事実が必ずしも客観的であるとは限らない。また、近年では言語表現としての文字以外の形で記録された過去の記憶も「歴史事実」として扱われるべきではないかという主張も存在する。
^ 一般に、遊牧民は文字文化の形成が遅いことが指摘されており、したがって、遊牧民は自らの歴史を記述するのが遅れ、彼らの古代史は主に隣接する農耕民の歴史記述によって把握される傾向にある。また、インドやイランなど文字文化が存在したところでも、それを体系化して歴史として記述する意識が希薄だったために歴史記述は遅れた事例があることが指摘されている[8]
^ バビロン第1王朝のハンムラビ王の43年の治世についてはすでにそれぞれの年がどのように記述されたかは解明されており、それに従って具体例を示せば、その第1年は「ハンムラビ、王(となった年)」、第2年は「国内に正義がおこなわれた(年)」、第3年は「バビロンにおいてナンナ神のための高壇に玉座を築いた(年)」などとされている[9]
^ しかし、古代ギリシャでは「永遠」であることが重んじられたために、個々の事実は「生滅」するために尊重されず、全体としては歴史に対する関心は低かったことが指摘されている。たとえば、アリストテレスは永遠不変な意味内容を含む「詩」を非常に高く評価する一方、「歴史」についてはそれが個別的で一時的な出来事を扱うものであるという理由で低い評価しか与えていない[10][11]
^ ヘロドトスもトゥキュディデスも同時代史に終始して遠い過去の研究にさかのぼることはなく、それは古代ギリシャ特有の循環的歴史意識によるという[12][13]
^ ヘロドトスが明示して引用している書物はヘカタイオスの書物だけである。
^ トゥキュディデスと異なり、ヘロドトスの記述には年代を明示する箇所が少ない上に挿話が多いことから、その年代的な信憑性について疑問が抱かれていた。とくに、ポリス社会での年代が示されているのはペルシア戦争終結の年だけであり、ときの執政官カリアデスの在位年が用いられている。今日では、研究によってヘロドトスの年代構造がかなり明らかになっており、その構造がしっかりとしたものであることが確認されている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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