台湾
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台湾の経済半導体ウェハービデオカードCPUノートパソコンスマートフォン人工知能をメインとして、ハイテクIT産業電子工学の分野で世界の最先端となっている。台湾製品は世界シェアの多くを占め、毎年世界から巨額の資金を吸収しつつ、中国日本スイスに次ぐ世界第4位の外貨準備高を有している[6][7][8]。そのため、台湾の一人当たり実質GDPは非常に高く、2009年からは日本を上回り、2023年現在では日本の1.4倍程度となっているほか、ドイツフランスイギリスを含む多くのヨーロッパの国々も超えている。2023年からは一人当たり名目GDPでも日本を上回っている[9][10][11][12]

公用語は中国語の一種である「国語」であり、中国大陸(中華人民共和国)の中国語「普通話」とは多少の差異があるが、基本的には意思疎通が可能である。国語と普通話の最大の違いは文字(漢字)にあり、中国大陸では「簡体字」を使う一方、台湾では従来の「繁体字」を使う。繁体字は日本での「旧字体」に近いが、字体や用字法が一部異なる。台湾で一般的に話されている言葉は国語ではなく「台湾語」と「台湾国語」である。台湾語は台湾総人口の7割を占める「?南人」の言葉で、中国大陸の中国語(官話)とは大きく異なる。台湾国語は中華民国国語を中心に、台湾語・客家語日本語オランダ語原住民語の要素が加わって形成された言語であり、多民族の国民の間の共通語として使われている。

台湾の歴史は世界的にも複雑と言われている。16世紀以前の台湾島は台湾原住民が住んでおり、17世紀前半にはスペインオランダ1662年から1895年まではなどの中華王朝、1895年から1945年までは大日本帝国1945年以降は中華民国の統治を経て、台湾人はこの歴史の流れから複雑な愛国意識が生まれた。
「台湾」の定義台湾の衛星写真

台湾は複雑な歴史を持つため、そもそも台湾の定義に関して定論がなく、以下に主な5つの例を挙げる:
例1. 島嶼としての台湾
台湾島のみを指す。総面積は35,886 km2 (13,856 sq mi)。
例2. 列島としての台湾
台湾島を中心として
蘭嶼など77の付属島嶼からなる。総面積は35,980 km2 (13,892 sq mi)。
例3. 狭義の地域概念としての台湾
1885年清朝が新設した福建台湾省に属し、1895年から1945年まで日本が統治していた地域を指す。具体的には、台湾島と付属島嶼、および澎湖諸島から範囲が構成されている。総面積は36,015 km2 (13,905 sq mi)。
例4. 広義の地域概念としての台湾
中華民国政府が1955年以降も引き続き実効支配している地域を指す。具体的には、台湾島と付属島嶼、澎湖諸島、中国大陸沿岸の馬祖列島烏?島金門島南シナ海東沙諸島、および南沙諸島太平島中洲島から範囲が構成されている。総面積は36,197 km2 (13,976 sq mi)[13]憲法上の公式な名称は「中華民国自由地区」。法令・公文書等では他に台湾地区台澎金馬とも表記される。なお、福建省に属する島々を狭義の地域としての台湾と区別して金馬地区(きんまちく、金門島と馬祖列島の頭文字に由来)と呼称することもある。この範囲は、国共内戦の結果中華民国が1955年浙江省大陳列島領有権を喪失したことで確定した。現在に至るまで国共内戦は公式な終戦停戦が為されていないが、これ以降中華民国政府の実効支配範囲に増減は生じていない。
例5. 政治実体としての台湾
1949年の中華人民共和国建国後も引き続き存続している中華民国を、正式な国家ではなく「台澎金馬という一つの地域を統治する政治的実体」として扱う政治的な概念。これは、国共内戦を経て中国が社会主義陣営の中華人民共和国と自由主義陣営の中華民国とに分裂したことで発生した概念である。本来、「中国統治の正統性を唯一有する国家」は中華民国のみであったが、中華人民共和国が成立したことにより、「中国統治の正統性を唯一有する国家」を自称する2つの政治的存在が並立し、それぞれが相手方の国家としての正統性を否定する事態となった。その後、冷戦下における微妙な軍事・政治バランスの中、1971年に国際連合で中華人民共和国が「中国」の代表権を取得すると、多くの国が中華人民共和国を「正統な中国政府」として承認し、中華民国を正式な国家として扱わなくなった。だが、国交断絶以降も中華民国との非公式な関係維持を望む資本主義陣営アメリカ合衆国日本国等の国々では、中華民国が実効支配している地域を中華人民共和国の統治地域とは別個の「地域」と判断して、「台湾」という地域名称で呼称し始めた。
名称の由来

台湾の語源は不明確で、原住民シラヤ族言語の「Tayouan(ダイオワン)」(来訪者)という言葉の音訳とも、また、「海に近い土地」という意味の「Tai-Vaong」や「牛皮の土地」という意味の「Tai-oan」、「人間の場所」という意味の「Tayw-an」とも言われている。[14]大員(台湾語発音:T?i-uan)(現・台南)が ダイワンと呼ばれており、そこにオランダ人が最初に入植したためとも見られている。いずれにしても原住民の言葉が起源と見られ、漢語には由来していない。中国の文献に台湾が台湾(台湾語発音:Tai-uan)と呼称されるようになったのは清朝が台湾を統治し始めてからのことである。
別称

台湾島には、フォルモサ(Formosa) という別称があり、現在でも欧米諸国を中心に使用されることがある。これは「美しい」という意味のポルトガル語が原義であり、16世紀半ばに初めて台湾沖を通航したポルトガル船のオランダ人航海士が、その美しさに感動して「Ilha Formosa(イーリャ・フォルモーザ=美しい島)」と呼んだことに由来するといわれている。なお、フォルモサの中国語意訳である美麗島や音訳である福爾摩沙を台湾の別称として用いることもある。

かつて日本では高山国(こうざんこく)、もしくは高砂国(たかさごこく)と呼んだ。これらは商船の出入した台湾島西南岸の「打狗山」(現・高雄)が由来の「タカサグン」がなまったものと思われる。正式な使節ではないが、タイオワン事件に関して、原住民が「高山国からの使節」として江戸幕府3代将軍徳川家光に拝謁したこともある。
中国による呼称の変遷

漢書地理志』の中に「会稽海外有東?人、分為二十余国、以歳時来献見……」との記載があり、一部の学者は東?とは台湾を指す名称であると主張している。しかし漢代の中心地は中原と呼ばれる、長安および洛陽を中心とする地域であり、福建省や広東省の沿岸地帯(河洛)にまで至ることは非常に稀であった。ゆえにその東岸にある島嶼を正確に記録したとは考えにくく、東?とは海上の島嶼群を漠然と示した名称であると考えられ、台湾の呼称と即断することは困難である。

三国時代には、沈瑩著『臨海水土志』と陳寿著『三国志志の孫権伝の部分に記述が見られる。 『臨海水土志』に、「夷州在浙江臨海郡的東南、離郡二千里、土地無霜雪、草木不枯、四面皆山、衆山夷所居。山頂有越王射的正白、乃是石也。


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