台湾独立運動
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2008年8月には台北市内で主催者発表で30万人のデモが行われ、総統府前を埋め尽くした[5]2009年5月には主催者発表で台北で60万人、高雄で20万人が「(馬英九政権の)中国傾斜に反対し、台湾を守ろう」とのスローガンを掲げ、大規模な抗議活動を行った[6]

2014年には孫文の像を引き倒す事件が独立派団体により引き起こされた[7]。他にも市民を弾圧した2.28事件の日には?介石の像にペンキをかけるなどの破壊活動が増えている。こういった行動に対して報復として独立活動家の像を破壊する動きが出るなど衝突が増えている[8][9]

2016年に民進党の蔡英文政権となり、中華人民共和国との関係については、圧力に屈しない穏健な現状維持とする路線を取っている。

2020年立法委員選挙では、陳水扁や李登輝など旧来の中華民国否定派は議席を獲得することができなかった[10]
民族主義

台湾独立運動は、ホーロー人ナショナリズムの一面があり、台湾語こそが正しいとして台湾語の正当性を過剰に主張していた。台湾語の話せない人を差別する台湾独立運動の「英雄的排外主義」について、歴史家の李筱峰は、「原住民がホーロー人に対し『お前たちは数百年台湾にいるのに我々の言葉を話せないのか』と言われるかもしれない」と、民族主義による他のグループとの対立を危惧した[11]
既に台湾(中華民国)は独立国家とする考え

台湾は中華人民共和国と無関係の島国であり一つの中国を否定する天然独と呼ばれる考え方がある[12][13]。民主化後に台湾で生まれ育った若い世代によく見られる[14][15]。しかし、中華民国の一部であるかどうかは個人の捉え方による部分が大きい。台湾独立派の中には、天然独は敗北主義だとする考えもある。

特に、中華人民共和国に現状の中華民国の独立状態を認めさせる考えは、華獨(中国語版)と呼ばれる。
非現実的とする批判

台湾独立の現実性については疑問や批判もある。

中国国民党の女性市議会議員である徐巧芯(中国語版)は女性も兵役につくべきであると提案、それに対し兵役でなく代替システムで徴兵を終えた桃園市の市議会議員である王浩宇(中国語版)が「自分はそれを望まない」と発言した。ネットでは「愛国心がない、兵士になってはどうだ」と批判の声が上がった。民進党の元立法院議員林濁水(中国語版)は「国民党は徴兵に賛成しているが台湾独立を掲げる民進党は反対した、台湾を守りたいのはどちらなのか」と嘆いた。聯合新聞は「台湾独立派はご都合主義のでまかせであり、兵士にならないのならどうやって中華人民共和国と独立戦争を戦うのか。アメリカが助けてくれると思っているのか、中華民国軍も弱くはないが人民解放軍は訓練された軍隊で、一体誰が尖兵となるのだ。王のような独立派は中国共産党をコケにすることで中国人意識を持っているNanaを批判するが、現実に防衛することを考えるとパニックになり、頼りになるのか疑問である。陳水扁と馬英九の台中接近政策により中国に幻想を抱き、独立は空から降ってくるように自然に手に入ると考えるような世代が生まれた」と批判した[16]

軍事面では、「消耗品や部品の費用を軍人が自腹を切っているケースが起こっておりそれが原因の自殺も起きた。兵器の整備も行き届いておらず政治家に忖度をする将校の増加から腐敗が進行している、アメリカから最新鋭の兵器を購入するがそれはポーズでありまともに維持できない」と元軍人が批判している[17]
中国民主活動家との関係

天安門事件で亡命した王丹など、中国民主化の活動家も当初は、台湾独立に否定的だったが[18]、その後は「『台湾のために戦う』という意識が低く、叫ぶだけでは『台湾独立』は不可能。歴史上、生命の対価を支払わずに独立した民族はない」というなど発言に変化がみられる[19]

ノーベル平和賞受賞者の劉暁波は著書「統一就是奴役...劉曉波論臺灣、香港及西藏 」にて、大一統と中国民主化は両立できず、台湾、香港チベットを独立させるべき主張した[20]
台湾独立運動を展開した代表的な人物
香港を拠点として活動した人物

廖文奎
(中国語版)(1905年 - 1952年) : 第二次世界大戦後の早期に台湾民族主義思想の理論を築き上げた運動家。1950年代に「台湾再解放連盟」が発表した『福爾摩沙發言(Formosa Speaks)』の著者。

廖文毅 : 第二次大戦後の最初期に活動した運動家。1948年に香港で「台湾再解放連盟」を成立させ、後に日本へ渡る。

謝雪紅 : 「台湾再解放連盟」の創始者の一員。二二八事件後に台湾から逃れてきた。

日本を拠点として活動した人物

廖文毅 :
第二次世界大戦後の最初期に活動した運動家。1956年東京台湾共和国臨時政府を樹立させ、初代大統領に就任。後に国民党政府へ「投降」。

陳智雄 : 元台湾共和国臨時政府の東南アジア巡回大使。自己の政治信念を貫いたがために、1963年に国民党政府によって銃殺される。そこから、「少しも死を恐れない台湾独立の勇士(視死如歸的台獨勇士)」と称される。

辜寛敏 : 日本における台独運動の重要な指導者。『台湾春秋』、『黒白新聞週刊』などの雑誌を創設し、台湾青年会の委員長を歴任。中華民国総統府で資政。

郭栄桔 : 日本における台独運動の指導者であり、事業に成功した企業家。世界台湾同郷会連合会の元首任会長。

侯栄邦 : 日本における台独運動の指導者。台湾独立建国連盟(台独連)日本本部中央委員を歴任。

黄文雄 (評論家) : 台独連日本本部委員長。日本に滞在する有名な台湾人作家であり、中国史に関する著作などを日本語で40冊以上執筆。その印税のほとんどは台独連へ献金されている。

黄昭堂 : 台独連総本部主席。昭和大学名誉教授。1960年代から日本における台湾独立運動のリーダー的存在。時の自民党政府と対立し逮捕されたことも2度。

羅福全(中国語版): 亜東関係協会会長。

金美齢 : 日本における台独運動の指導者。陳水扁政権下で中華民国総統府国策顧問、台独連総本部中央委員を歴任。他にも、JET日本語学校校長、「学校法人柴永国際学園」理事長。しかし2009年に日本国籍を取得し、帰化した。

史明 : 独立台湾会の創始人にして、『台湾人四百年史』の著者。台独運動左派の代表的な人物。

王育徳 : 言語学者。台独連日本本部の前身である台湾青年社を組織し、『台湾青年』を刊行。

盧千恵 : 元台北駐日経済文化代表処代表許世楷の夫人、児童文学者。日本留学中に夫ともに台独運動に参加。

許世楷 : 元台北駐日経済文化代表処代表にして、台湾建国党主席、台独連総本部主席を歴任。

宗像隆幸: ペンネームは宋重陽。独立建国聯盟機関誌『台湾青年』を第9号(1961年8月発行)から停刊となった第500号(2002年6月号)まで編集。また当時、台北の自宅に軟禁中だった彭明敏を国外脱出させる作戦を敢行した。

林建良Eメールマガジン『台湾の声』の編集長にして、日本における台湾正名運動の発起人。在日台湾同郷会会長を歴任。

邱永漢 : 台湾青年独立連盟中央委員を務めたこともあったが1972年に運動から離脱。

北アメリカを拠点として活動した人物

この節の加筆が望まれています。


蔡同栄

張燦?(中国語版)

鄭自財

黄文雄 (政治家)

郭倍宏(中国語版)

荘秋雄

ヨーロッパを拠点として活動した人物


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