鹿児島藩士・山下半右衞門の長男として1847年に生まれ、熊本、大阪、静岡などの各県警察部長を務めたのち、台湾新報の社長となる[5][6]。同社は台北市の北門通り(北門街)にあり、隣に山下の自宅があった[7]。同社が台湾日報と合併して台湾日日となって以降は、郵便や国庫金の逓送、苦力供給などを業務とする駅伝社の社長や共同商会主として台湾財界の大建物となった[8]。1910年創業の帝国製糖初代社長のほか、台湾商工銀行、亜鉛電解工業、大正製薬、日本電気興業などの重役を務めた[5]。
脚注^ a b 李(2014年)2ページ
^ a b c d e f g h i j k l m 李(2014年)3ページ
^ 呉(2010年)150ページ
^ a b 藤井(1999年)196ページ
^ a b ⇒山下秀實 (男性)『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
^ 静岡県警部長山下秀実御用ニ付出京ノ件 明治17年07月