台湾問題
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

この反国家分裂法に先んじて、2002年に余元洲・江漢大学政法学院副教授が「中華人民共和国国家統一促進法(学者建議案)」[10]を発表していた[11]。反国家分裂法との関連は定かではないが、全人代や国務院台湾事務弁公室にも送付し、また何人かの全人代の代表や政府関係者が彼の意見を聴取したとも言われる[12]

余の統一促進法では、中華民国の実効支配地域を「中華人民共和国台湾特別政治地域」とし、中華人民共和国の実効支配地域を「中華民国大陸特別政治地域」とすることを提案している。二つの国が互いの全領土に対する主権を共有する点では、国際法上荒唐無稽である。しかし、中華民国の存在を公的に認め、当事者間においては双方を外国と看做さない点において、分断国家理論やそれに基づく本来の「特殊な国と国の関係」(旧東西モデル)に近い発想と言い得る。
イギリス

ウィンストン・チャーチル首相は1955年のイギリス議会での答弁で、「『カイロ宣言』に基づいて中国が台湾に対する主権を有するということには同意できない」と述べている[13]
カイロ宣言と国連第2758号決議文問題

2004年に中国の温家宝総理が「中国が台湾の主権を有していることは『カイロ宣言』できわめて明確に示されている」と発言した。

これに対して陳水扁は、2008年に英国紙『フィナンシャル・タイムズ』のインタビューに対して次のように答えた[14]

「1943年に?介石、チャーチル、ルーズベルトの3ヶ国の首脳が中国は台湾の主権を確かに有していると決定したと、多くの人々が信じて」きたが、1943年12月1日の『カイロ宣言』は日付も署名もなく、事後による追認もなく、授権もないとし、「これはそもそもコミュニケ(公的な共同声明)ではなく、プレスリリース、声明書に過ぎない」と指摘したうえで、「1955年2月1日、チャーチル首相は国会質問で、『カイロ宣言』に基づいて中国が台湾に対する主権を有するということには同意できないと答えたように、当時3人にはそもそもコンセンサスなどなく、そのため署名もなかった」と述べ、中国がカイロ宣言を根拠に領土を主張するのは成立しないとした[13]

また、「台湾の国家主権は台湾国民に属している」と強調し、さらに、多くの人が「『カイロ宣言』にはそもそも中国が台湾の主権を有することが書かれたわけではないというこの事実を知らないのは、過去の教育が杜撰であり、歴史が改竄されていたからだ。だからこそ、中国は自己に有利なためこれを引用し、国民党は台湾を統治する際の法的統一の基礎としたのだ」とした[13]

また、陳水扁は1971年の国際連合総会2758号決議文にはそもそも『台湾』が触れられておらず、『中国』代表権問題のみが解決しただけであり、中華人民共和国が台湾2300万の人々を代表してよいとは言っていないのであり、パン・ギムン国連事務総長や中国はこれを拡大解釈しているとして批判した[13]

日本政府は「第二次世界大戦後の日本の領土を法的に確定したのはサンフランシスコ平和条約であり、カイロ宣言やポツダム宣言は日本の領土処理について、最終的な法的効果を持たない」と表明している[15][16]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ この内戦には公式な終戦日がない。しかし、中国大陸に近く中国国民党にとって反攻の為の最後の砦であった海南島が陥落した後は戦争が終結したと、歴史家達は広く合意している[1]。なお、両国間の戦闘行為は1979年1月1日金門砲戦終了まで続いた。
^ 総統国民大会立法院監察院などの規定
^ このほか、「両岸は国家が統一されていない特殊な状況の下での政治関係について、実務的な検討を行うべきだ」「台湾海峡情勢の安定や安全への懸念を緩和させるため、両岸は適時に軍事問題について交流し、相互信頼システムの確立について討議を行うべきだ」「台湾独立分裂活動に反対することは、両岸関係の平和的発展を推進させる必要な条件であり、両岸同胞の共通の任務でもある」などと主張した。

出典^ Westad, Odd (2003). Decisive Encounters: The Chinese Civil War, 1946-1950. Stanford University Press. pp. 305. https://books.google.co.jp/books?id=JBCOecRg5nEC&printsec=frontcover&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q=%22last%20major%20GMD%20stronghold%22&f=false 
^ 台北二二八紀念館資料[出典無効]
^ [1]
^ “蒙古地方”. 重編國語辭典 (中華民国教育部). ⇒オリジナルの2013年5月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130523131132/http://dict.revised.moe.edu.tw/cgi-bin/newDict/dict.sh?idx=dict.idx&cond=%BBX%A5j%A6a%A4%E8&pieceLen=100&fld=1&cat=&imgFont=1 
^ “有關外蒙古是否為中華民國領土問題?明新聞參考資料”. 大陸委員会. (2012年5月21日). オリジナルの2021年6月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210615012406/http://www.mac.gov.tw/public/Attachment/252122204856.pdf 
^ 「 ⇒連戰發表: 兩岸邦聯?想」『大紀元』2001年1月5日
^ 「 ⇒台國民黨政綱放棄“邦聯”」『BBC中文網』2001年07月25日
^ 「 ⇒中國反對兩岸統一用邦聯制」『BBC中文網』2001年3月4日
^ エドガー・スノー著、宇佐美誠次郎・杉本俊朗訳『中国の赤い星』上巻、永美書房、1946年、122-123頁。なお後の版ではこの部分が改竄されている。
^网文:中?人民共和国国家?一促?法 2021年2月5日閲覧。
^「催生国家?一法的人」『南方人物周刊』2004年7月12日
^「大陸学者推出《国家?一促?法》建議」『鳳凰週刊』第148期、2004年05月25
^ a b c d “陳水扁総統:「カイロ宣言」は署名がないニセモノ”. 台北駐日経済文化代表処 (2008年3月18日). 2013年1月13日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2010年11月26日閲覧。
^ “陳水扁総統:「カイロ宣言」は署名がないニセモノ”. 台北駐日経済文化代表処 (2008年3月18日). 2022年11月3日閲覧。
^ “尖閣諸島情勢に関するQ&A”. 外務省. 2024年3月11日閲覧。 “第二次世界大戦の場合,同大戦後の日本の領土を法的に確定したのはサンフランシスコ平和条約であり,カイロ宣言やポツダム宣言は日本の領土処理について,最終的な法的効果を持ち得るものではありません。”
^ 内閣総理大臣 安倍晋三 (2015年8月18日). “衆議院議員緒方林太郎君提出中国の南シナ海等に対する認識に関する質問に対する答弁書”. 衆議院. 2024年3月11日閲覧。 “御指摘のカイロ宣言及びポツダム宣言は、領土の最終的処理を決定したものではない。”

関連項目

台湾台湾の歴史

台湾地位未定論

台湾の主権に関連する国家:中華民国中華人民共和国

中国の歴史中華民国の歴史台湾民主国国共内戦中台関係

中華民国における政治の詳細:中華民国の政治泛緑連盟泛藍連盟台湾正名運動台湾独立運動

一つの中国 / 二つの中国、漢賊不両立


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:74 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef