台湾原住民
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出草(首狩り)

台湾原住民族(タオ族全体とアミ族の一部を除く)には、敵対部落や異民族の構成員を殺し、その首を切り落とす風習がかつてあった。これを台湾の漢民族や日本人は「出草(しゅっそう)」と呼んだ。その名の通り、草むらに隠れ、背後から襲撃して頭部切断に及ぶ行為である。また、この行為には宗教的な意味もあった。

狭い台湾島内で、文化も言語も全く隔絶した十数もの原住民族集団がそれぞれ全く交流することなくモザイク状に並存し、異なる部族への警戒感が強かったためであるといわれている。漢民族による台湾への本格的移住が遅れた要因として、この出草の風習を抜きに語ることはできないという説もある。首狩りそのものが、「部族を外敵から守る力を持った一人前の成人男子」としての通過儀礼(成人式)とされ、あるいは狩った首の数は同族社会集団内で誇示された。成人式を終えるまでは、妻子や部族を守る力が無いとして、一人前の成人男性としての結婚や儀式などが許可されなかった。

この習慣は、他にもマレー系、南米先住民族の一部などにも見られる。また、日本の武士が敵の首を切り落とす文化にも共通のものがある。

大形太郎『高砂族』(1942年)によると、首狩りと言えばタイヤル族を想起させるほどタイヤル族によるものが多く、続いてブヌン族・パイワン族に多かったようで、ツォウ・アミ・サイシャットの諸族は最も早くからこの慣習を止め、ヤミ族は古来からこの風習を持った形跡がないと言われていた。いずれの部族も、大日本帝国時代末には同邦への首狩りの慣習は殆ど止めていた。

出草は史料から見る限りでは、弓矢や鉄砲などによって対象者を背後から襲撃した後に、刀で首の切断に及ぶもので、対象と勇敢に格闘を行った末に首を切り取るというケースはあまり見られない。なお獲得した首は村の一所に集めて首棚などに飾る。出草は祖先より伝わる神聖な行為であり、祖先の遺訓を守る行為と見なされ、「武勇を示す」や「不吉を祓う」、もしくは「冤罪を雪ぐ」などの為に行われた。したがって、馘首の対象者は必ずしも仇敵とは限らず、馘首の大半は同族同士によるものであり、被害者が漢民族や日本人である方がむしろ少なかったといわれている。日本統治時代初期には、沖縄からの行商の女性たちが山野にて出草の被害者となるケースが多かった。

日清戦争後の乙未戦争で日本が清の残党や原住民など日本の領有に不満を持つ台湾の現地勢力を掃討・平定し、領有を確定してからは、台湾総督府による理蕃政策により、首狩りの風習は犯罪行為として厳しく禁じられた。しかし原住民族蜂起の鎮圧に際して、蜂起を起こした原住民に対する出草を容認(黙認)することを見返りに、他の原住民に協力を求めるケースも多かった。特に霧社事件後に行われたセデック族鎮圧の際には、霧社事件で日本人殺害に関わった者の首に高額の懸賞金を懸け、出草を煽った。[要出典]

1910年(明治43年)の五箇年計画理蕃事業事施後の1915年大正4年)以降、出草は激減する。これは蕃地平定に伴う警官駐在所設置や銃器押収によるものであるが、公学校や教育所による教化の進展によって、「日本人」「文明人」というアイデンティティを持った原住民らが、出草という風習を放棄したとする説もある。

台湾総督府史料などを基にした説によると、1896年(明治29年)から1930年(昭和5年)までの間、出草の犠牲者はおよそ7,000人に上るとされている。なおこれらの犠牲者は、原住民同士によるもの(約1000人程)を除くと、多くは漢民族であったようである。

日本統治時代末期になると出草はほとんど見られなくなるが、完全に出草という風習が消滅するのは中華民国時代になってからである。

出草を巡る阿里山原住民に関する呉鳳説話は清朝時代末期に作られ、日本統治時代に広められて有名になったが、1980年代以降の原住民族権利運動の過程でその差別性が糾弾され、現在では話題にならなくなりつつある。
出草の動機

大形太郎『高砂族』(1942年)によると、

壮年の班に加わろうとする時

争いの正否を決定しようとする時

悪疫の流行を払おうとする時

嫌疑を解き、または冤罪を濯ごうとする時

娶婦の競い(結婚女性の獲得)に勝とうとする時

自己の武勇を誇ろうとする時

凶兆ある場合、不吉を未然に払おうとする時

自己の恨みを霽〔は〕らそうとする時

死後に楽土に入る資格を得ようとする時

等。

また、大日本帝国時代の調査や現地に居た人達の話によると、部族内では「部族の規律違反による制裁」、それ以外の殆どのケースの対象者は「敵対者」「何ら怨恨の無い関わりのない第三者」で、「異種族」の首を狩る事によって部族内問題とならない様にしていたようである。
平埔族の問題

文化、伝統を残している認定原住民と原住民アイデンティティを持つが同化の進んだ平埔族は原住民を二分する問題である。

台湾原住民は政府により認定され身分が定まる、違憲判決を受けた平埔族の訴訟で同化の進んだ原住民の認定が進むと見られている。この判決を混血、都市部の原住民は歓迎したが伝統的な地域に居住し続け文化の継承を努力している原住民の指導者からは原住民政策を歪め既存原住民の権利を侵害するとの声が出た[17]
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出典検索?: "台湾原住民" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2023年3月)

台湾原住民と、ホーロー人本省人とも呼ばれる漢民族の間には歴史的に根深い敵意が存在する。

差別的な意味のある「番」はホーロー人によって原住民に対してしばしば使用された。[18]

2016年、中華民国総統として蔡英文が原住民に謝罪を行った。この謝罪は、台湾の歴史の多様性を強調し、理解と和解を促進するとして、原住民族だけでなく非原住民族からも肯定的に捉えられた[19]一方、一部の原住民の活動家からは批判がでた[20]。そして、原住民の批判に対しても、特にホーロー人が多い民進党の支持者から、原住民が政治的立場により意見が偏っていることを疑問視する声がみられる[21]など、現在においても原住民とホーロー人の対立が存在する。
原住民ルーツの利用

Marie Linの研究では台湾の漢族の85%が原住民由来の遺伝子を持っているとされており、この研究結果は台湾人は遺伝的に中国人と異なると台湾独立派が持ち出す事がある。

ホーロー人が原住民のルーツを持っていることを述べることは最初は原住民側からも歓迎されており、ホーロー人の元行政院長謝長廷は「私の祖母は原住民である。私は原住民、あなたは原住民ではないと言うべきではない、みんな原住民だ」と発言した。

しかし、台湾独立の理由付けの一つとして用いられるようになってからは一部の平埔族の子孫からは反発が生じるようになった[22]
関連作品
小説


津島佑子『あまりに野蛮な (上)』講談社、2008年11月29日。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-06-215113-9。 (電子版あり)

津島佑子『あまりに野蛮な (上)』講談社〈講談社文芸文庫〉、2016年7月9日。ISBN 978-4-06-290316-5。 


津島佑子『あまりに野蛮な (下)』講談社、2008年11月29日。ISBN 978-4-06-215114-6。 (電子版あり)

津島佑子『あまりに野蛮な (下)』講談社〈講談社文芸文庫〉、2016年7月9日。ISBN 978-4-06-290317-2。 


脚註[脚注の使い方]^ “知ってなるほど 明治・大正・昭和初期の生活と文化 。台湾原住民族 ?日本の調査にみるその文化?”. www.jacar.go.jp. 2022年1月24日閲覧。
^ 河野利彦 (2013年6月10日). “棄てられた皇軍兵士たち?台湾人元日本兵?”. 2014年8月18日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2014年9月28日閲覧。
^最新消息-?政部統計處網站


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