実際に台湾、澎湖を出て行ったのは5,460名で、本島人口の2パーセント弱と少数に過ぎなかった。そのため多くの「台湾籍民」が生ずることになったのである。もともと「籍民」とは中国民族でありながら外国籍をもち、その所属領事国の保護の下に中国官吏の管轄をうけない人々を指す言葉である。日本の台湾領有より生じた日本籍をもつ「台湾籍民」という新しい型の「籍民」が生まれて外国籍民の中に加わるようになった[3]。
脚注^ 「明治大事典(第2巻)」吉川弘文館
^ 「台湾史小事典」中国書店(福岡)監修・呉密察147ページ
^ 東南アジア研究18巻3号1980年12号所収 中村孝志「台湾籍民」をめぐる諸問題