台湾人
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台湾2002年での人口は2300万人であり[1]エスニシティ(民族的出自)や母語を基準にその人口の構成を調査する。『言語社会與族群意識』によれば、台湾原住民が1.7%、?南民系が73.3%、客家が12%、外省人が13%となっている[2]

台湾の人類研究者、黄宣範による調査では、10代では100%が「私は台湾人であって、中国人では無い」という意識を持っている[3]

現代のヒト白血球型抗原ミトコンドリアDNAによる調査の一つによれば、台湾の人口の88%が原住民の祖先を持つ[4]
台湾人の歴史
日本統治以前

台湾は、移民社会である[5]。もともと台湾島には、人口は小さいが文化的には多様なマレー=ポリネシア系の先住諸民族が居住していた[5]オランダ統治時代になると対岸の中国大陸から漢族が移民してきた[5]。具体的には、福建省南部出身でそれぞれの母語(福?語および?南語)を話す福?人(?南人ということもある)及び広東省北部出身で客家語を話す客家人であった[2][6]。かれら漢族系住民の移民の波は19世紀初めまで続き、台湾の人口は200万人弱に増加し、先住諸民族は劣勢の少数者の地位に立たされた[5]
日本統治時代

1894年に起きた日清戦争と翌1895年下関条約の結果、日本統治時代となると日本人が植民者として移り住み、日本人移民者は最終的には40万人に達した[5]漢族系住民は、「本島人」と呼ばれ、最初は日本人を侵略者と見る見方もあったものの徐々に日本人としてのアイデンティティを持つ者が増えていった。「内地人」(日本人、主に大和民族)を頂点とし、次いで「本島人」、最下層に「蕃人」(原住民)という階層秩序が生まれた[7]
中華民国時代

1945年8月ポツダム宣言受諾による日本の降伏により、台湾は連合国の一員であった中華民国の一つの省である「台湾省」に編入され、10月25日には、中国戦区最高司令官?介石の代理である陳儀が、最後の台湾総督安藤利吉から降伏を受けた[8]。さらに翌1946年1月の国府行政院訓令により、当時の台湾の住民は、「1945年10月25日より中華民国の国籍を回復した」ものとされた[9]。この訓令で中華民国国籍を回復した男性とその子孫が本省人となり、この訓令によらず中華民国国籍を所有しており、その後台湾に居住するようになった男性とその子孫を「外省人」と呼ぶようになった[9][10]日本統治下の「本島人」は中華民国統治下の「本省人」となった[9]。この外省人は、国共内戦の結果「中華民国」中央政府とともに一種の政治難民として台湾に渡り、結果的にほとんどが台湾に定住した人々である[5]

ちなみに1949年当時の総人口は約740万人であった[5]

光復」後まもない1947年に戦後の経済混乱や日本資産接収の不正や失敗などを背景として、国民党政権と台湾住民との激しい衝突事件すなわち二・二八事件が発生した[11]。この事件で?介石によって中国大陸から秩序回復に派遣された軍隊によって、1万8000人から2万8000人が殺されたとされる[11]。この事件により、台湾の人口の少なからぬ部分が国民党政権による上からの国民統合政策に対して疎外感を持ってしまった[11]。さらには、政治的にも1949年以降自由が厳しく制限される権威主義的政治体制の下で、中央の政治権力は外省人エリートに独占されるなど、本省人と外省人との間の権力分配の不平等が固定化されていた[11]

1986年秋には一党独裁を通してきた国民党政権が野党民進党の結成を余儀なくされたことから、台湾政治の民主化が始まる[12]。1949年以降敷かれたままになっていた長期戒厳令が解除され、国共内戦期に中国大陸で選ばれた非改選の議員が大多数を占めていた国会が正常化し、1996年には総統の直接選挙が実施され、2000年には遂に総統選挙の結果により国民党から民進党への政権交代が実現した[12]。こうした民主化は、本省人の側から見れば、国民党独裁下で顧みられなかった土着言語や土着文化への回帰すなわちエスニック・リバイバルといえる[12]

台湾最大の群族集団である福?人の話す福?語が「台湾語」と呼ばれるようになり、さらに選挙などでも盛んに使用されるようになり、国会でも使用されるなど急速に地位を高めている[12]

1980年代中ごろから先住民族の復権運動が行われ、「台湾原住民族」という自称が憲法修正に際して採用されたり、個人名に関しても、それまで法的には中国式名前しか認められなかったが、伝統的な方式によるものでも戸籍登録ができるようになった[12]。そうなると客家人も危機感をもって客家語の復権などの文化運動を展開することになった[13]。このように近年では、台湾人各群族の要求が多元主義的な文化政策ないし国民統合政策として次第に定着しつつある社会を迎えている[13]
近年の調査にみる台湾人の民族帰属意識

大陸委員会による、自らを台湾人、中国人、台湾人かつ中国人だと考える台湾人の割合[14]調査台湾人中国人台湾人かつ中国人
大陸委員会(2000年)42.5%13.6%38.5%

海峡交流基金会による、自らを台湾人、中国人、台湾人かつ中国人だと考える台湾人の割合[15]調査台湾人中国人台湾人かつ中国人
海峡交流基金会(2007年)約63%約14%約18%

『天下雑誌(中国語版)』による、自らを台湾人、中国人、台湾人かつ中国人だと考える台湾人の割合[16]調査台湾人中国人台湾人かつ中国人
『天下雑誌(中国語版)』(20歳から29歳の若年層、2020年)82.4%12.4%

聯合報』による、自らを台湾人、中国人、台湾人かつ中国人だと考える台湾人の割合[17]調査台湾人中国人台湾人かつ中国人台湾人とは中国人のこと意見なし
聯合報』(2016年)73%11%10%1%6%
聯合報』(20歳から29歳の若年層、2016年)85%

TVBSによる、自らを台湾人、中国人、台湾人かつ中国人だと考える台湾人の割合[18]調査台湾人中国人
TVBS(「台湾人」「中国人」の二者択一の場合、2013年)78%13%
調査台湾人中国人台湾人かつ中国人
TVBS(「台湾人」「中国人」「台湾人かつ中国人」の選択の場合、2013年)55%3%38%

台湾民意基金会による、自らを台湾人、中国人、台湾人かつ中国人だと考える台湾人の割合[19]調査台湾人中国人台湾人かつ中国人無回答
台湾民意基金会(2020年)83.2%5.3%6.7%4.8%


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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