193.3台中
194.6老松町 (-1942)
195.3五権 ←台中捷運烏日文心北屯線(2018-)
197.5大慶
200.5烏日
高鉄台中 ■台湾高速鉄道
201.3新烏日 (2006-)
202.3学田 (-1942)
202.8遊園地前 (-1942)
203.8成功
↑←成追線→↑
205.5大肚渓北信号場 (-1987)
205.9大肚渓南信号場
彰化高架化起点[1]
210.9彰化 彰化機務段
台中線(たいちゅうせん)は、台湾苗栗県竹南鎮の竹南駅から台中駅を経て彰化県彰化市の彰化駅に至る台湾鉄路管理局の鉄道路線。台湾鉄路管理局西部幹線の一部をなす。通称は山線。実際の運行形態は、縦貫線を参照。 「縦貫線 (台湾鉄路管理局)#歴史」も参照 台中線は基隆駅 - 高雄駅間を結ぶ縦貫線の一部として建設された路線で、縦貫線の竹南駅 - 彰化駅間に相当する。 縦貫線は台湾を代表する幹線であったが、苗栗駅 - 豊原駅間の急勾配区間が輸送上のネックとなっていた。そこで、海沿いの平坦部に新線を建設し、内陸部を走る従来の路線と新線に列車を分散させて輸送力の増強を図ることになった。1922年、竹南駅 - 彰化駅間を海沿いに走る海岸線が開通する。これ以降、海岸線の通称「海線」に対して内陸部を抜ける従来のルートは通称「山線」と呼ばれることとなった。 戦前は海岸線が縦貫線のメインルートとして扱われ、急行列車を含めた長距離列車が海岸線経由で運行される一方、台中線を経由するのは比較的短距離を運行する列車であった。しかし、山線の路線改良(「旧山線」も参照)や電化が進められた現在では台中線が縦貫線のメインルートとしての扱いを受けており、対号列車の多くが台中線を経由して運行されている。 21世紀以降は台鉄捷運化政策に伴い市街地の立体化が計画され、2016年に台中市内が高架化されたほか、終着の彰化市内でも高架化事業計画が進行している[1]。
歴史
年表
1903年(明治36年)5月25日 - 中港(現・竹南) - 苗栗間が開通[2]。
1908年(明治41年)4月20日 - 縦貫線竹南駅 - 彰化駅間(台中駅経由、現在の台中線に相当する区間)が全通。同時に縦貫線も全線が完成する[2]。
1922年(大正11年)10月11日 - 海岸線(竹南駅 - 彰化駅間、大甲駅経由)全通[3]。海岸線の完成に伴い、台中駅経由のルートは「山線」と通称されるようになる。
1935年(昭和10年)4月21日 - 新竹・台中地震で甚大な被害を受ける[4]:頁300-303。
1959年8月7日 - 八七水災
1979年7月1日 - 台中線の電化に伴い、縦貫線全線電化完了[5]:349。
1988年 - 豊原以南が複線化[4]:頁297-299。