召集
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大辞泉・大辞林・日本国語大辞典・新明解国語辞典のいずれの辞書においても、この意味の表記は「召集」であり「招集」ではない[1][2][3][4][8][9][10][11]。一方、NHKの放送用語においては「召集」は旧日本軍に限定し、自衛隊や外国軍隊については「招集」を使用している[7]。ニュースや解説などにおいては、日本以外の軍隊に対して「召集」「招集」いずれの表現も用いられる例がある[22][23][24]

以下では、大東亜戦争太平洋戦争第二次世界大戦)以前の大日本帝國軍事における召集について記載するが、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の朝鮮人民軍タイ王立軍も帝國陸海軍の徴兵制度の影響を受けている。詳細は「朝鮮人民軍#兵力」および「タイ王国軍#徴兵制」を参照

徴兵制度下の日本で国民が軍務につくには、徴集、召集、志願の三通りがあった[25][26]。時代により細かな用語が異なる場合があるが、徴集とは徴兵検査に合格した者を現役または補充兵役に編入することで、現役に編入された者が平時と有事とにかかわらず軍務につく[27]。現役兵が軍隊に入ることは召集ではない。召集とは現役以外の兵役に服し実際に軍務についていない者を、何らかの事由による必要から軍務につかせることである[28][29]。予備役の将校あるいは補充兵などが召集されて軍務についても役種は変わらず[30]、あくまでも「召集中の予備役将校」「召集中の補充兵」である。したがって「召集されて現役に」などの表現は誤りとなる。「兵 (日本軍)#徴兵検査」および「兵役法#壮丁名簿」も参照
明治および大正期
明治十年代まで

1873年(明治6年)1月に制定された徴兵令に召集は明文化されている[31]。徴兵令では陸軍を常備軍、後備軍、国民軍に分け、徴兵検査に合格し免役の条件に該当せず抽籤により選ばれた者は、兵卒[32]として3年間常備軍に服役し部隊に屯営する(平時は2年を過ぎ「帰休」として常備軍の服役期間中も軍務を離れることも可能とされ、こうした兵卒を帰休兵と呼んだ)。常備軍の服役が終わると後備軍(第一後備軍、第二後備軍)として民間で生活をする。始めの2年間が第一後備軍であり、「戦時ニ当リテハ直チニ召集シ」常備軍に加えるとした。平時においても年に一度、技量維持のため短期間の召集があった。第一後備軍の服役が終わると、さらに2年間は第二後備軍に服役し「全国大挙ノ時」には召集すると定められた。国民軍は常備軍・後備軍に服役中でない17歳から40歳までの男子すべてにより構成されるが、召集の対象にはならなかった。海軍に関して徴兵令では緒言に陸軍の兵員のうち「沼海ノ住民舟楫波濤ニ慣レン者」(海や湖沼近辺の住民で船や波に慣れている者)を海軍の兵員にあてると記されているのみだった[33]1875年(明治8年)、後備軍の召集について詳しく規定した後備軍召集条例(陸軍省達第112号)が制定されている[34]

1879年(明治12年)10月、徴兵令改正(太政官布告第46号)で3年間の常備軍の後さらに3年間の予備軍が設けられ、その後を4年間の後備軍とし、予備軍と後備軍は民間で生活するが「戦時或ハ非常ノ事故アル時」には予備軍、後備軍の順で召集し、常備軍に加えると定められた。平時は予備軍、後備軍ともに年一回の召集による訓練があった[35]

1886年(明治19年)10月、陸軍召集条例(陸軍省令甲第39号)が制定・施行され、召集は充員召集・後備軍召集・近衛充員召集・近衛後備軍召集・演習召集・点呼召集の6つにわけられた[36][37]。充員召集とは戦時または事変の際に常備軍帰休兵と予備軍を召集することで、後備軍召集は充員召集の次に後備軍を召集することである。近衛充員召集と近衛後備軍召集は対象を近衛兵に限定した召集である。演習召集は臨時と定時があり、臨時演習召集は戦時または事変の際に充員召集あるいは後備軍召集の手続きを演習するもので、定時演習召集はあらかじめ定めた期日に帰休兵、予備軍、後備軍を短期間の演習のため召集することである。点呼召集とは予備軍および後備軍の兵員を調査するための召集である。各召集には召集令状が用いられ、原則として本人に手渡しされる。その際、召集に応じるための旅費は国庫から支払われることになっていた。この当時の召集令状は後年と違い表に短く「召集ヲ令ス」と大書され、命ぜられた者の役種・階級・姓名、召集発令の年月日、発令をした鎮台名(または近衛)などが記されるのみで、用紙を着色する規定はなかった。裏面は召集を受けた本人の住所と召集地、召集地までの距離とそれに応じた旅費の金額などが記され、旅費を受領した際に記名捺印をする決まりであった[38]
徴兵令大改正以後

1889年(明治22年)1月、大日本帝国憲法(同年2月発布、11月施行)の制定にあわせて徴兵令は法律第1号として大きく改正され、兵役の種類を常備役、後備役、国民兵役とし、常備役を現役と予備役にわけた。現役は20歳で徴兵検査に合格し抽籤により選ばれた男子が陸軍は3年間、海軍は4年間服し、現役を終わると陸軍は4年間、海軍は3年間予備役に服した。さらに常備役を終えた者が陸海軍とも5年間の後備役に服し、常備役でも後備役でもない17歳から40歳までの男子は国民兵役に服する。予備役にある者は戦時もしくは事変に際し召集され、平時には60日以内の勤務演習のための召集と毎年一度の簡閲点呼もあった。後備役にある者は予備役に次いで召集された。平時の勤務演習と簡閲点呼は予備役と同様である。国民兵役にある者は後備役の兵員を召集してもなお兵員を必要とする場合に限り召集された。勤務演習の召集と簡閲点呼は国民兵役にはなかった。

1894年(明治27年)、日清戦争で日本は徴兵令下で初めての大規模な対外戦争を経験した。戦争全期間を通じた動員兵力は24万616人、そのうち下士[39]以上の人員を除いた兵卒は20万9927人であった。開戦時の現役兵卒定数は6万589人に過ぎず、残りは予備役兵卒9万35人、後備役兵卒10万3914人の中から召集によって補充された[40]

戦争がまだ継続中の1895年(明治28年)3月、徴兵令改正(法律第15号)が公布され、同年4月1日施行された[41]。この改正では陸軍の予備役を4年から4年4か月に延長し、新たに補充兵役が定められた。補充兵役は陸軍では第一補充兵役と第二補充兵役にわかれ、現役に適するが定数のため現役に指定されなかった者が第一補充兵役に7年4か月服し、第二補充兵役は第一補充兵員に指定されなかった者が1年4か月服役する。海軍においては第一と第二にわけず、現役に適するが兵員定数により現役に指定されなかった者が1年間補充兵役に服すとされた。また国民兵役を第一と第二にわけ、第一国民兵役は後備兵役および第一補充兵役を終えた者が服し、第二国民兵役は常備兵役、後備兵役、補充兵役、第一国民兵役のいずれでもない者が服した。召集に関しては陸軍の第一補充兵役と海軍補充兵役にある者はそれぞれ現役の不足の場合は補欠にあて、また戦時もしくは事変の際は召集すると定められた(陸軍の第一補充兵が現役の補欠要員となるのは補充兵として徴集された初年に限る)。第一補充兵は平時には教育のため150日以内の召集があった。陸軍の第二補充兵役にある者は、第一補充兵を召集してもなお兵員を要するときに召集するとされた。この改正により現役の定数を増やす(平時には国家財政の負担になる)ことなく、有事の召集要員のプールを充実させることで兵員確保が以前より容易になった[42]

1896年(明治29年)11月、新たな陸軍召集条例(勅令第364号)が制定され、翌1897年(明治30年)4月、それまでの条例を廃し施行された[43][44]。新条例では充員召集・国民兵召集・演習召集・教育召集・補欠召集と、前条例の点呼召集にかわり簡閲点呼が規定されている。充員召集とは動員に際し陸軍の全部もしくは一部を充員するため、および動員完結後に欠員を補充するためその要員を召集することで、動員令に従い師団長が充員令を発する。国民兵召集は第一国民兵召集と第二国民兵召集にわかれ、年齢の若い者より召集すると定められている(第二国民兵役の17歳以上21歳未満の者は特別の命令以外では召集されない)。演習召集とは予備役と後備役の将校、下士兵卒および第一補充兵の勤務演習、ならびに現役帰休兵の演習召集である。教育召集とは教育のため第一補充兵を召集することで、第一補充兵役の初年に行う。補欠召集とは平時において臨時兵員の補欠を要するときに帰休兵を召集することである。簡閲点呼は予備役と後備役の下士兵卒および第一補充兵を集め平時における状況を把握し、必要な訓示を行うことである。在郷軍人(待命・休職・停職・予備役・後備役の将校と同相当官または同准士官、予備役・後備役の下士と兵卒)および補充兵の召集には召集令状を用い、令状には編入すべき部隊と到着地点、到着期日が記される。国民兵役にある者を召集する場合は召集令伝達書を用い、集合地点とその期日が記される。簡閲点呼は点呼令状を用い、点呼場とその到着日時が記されることになっていた。

1898年(明治31年)10月には海軍召集条例(勅令第247号)が制定・施行された[45]。基本的に志願による補充に重点を置き、軍務に技術を要することが陸軍と比べて多い海軍が、条例で定めたのは、充員召集・演習召集・簡閲点呼の3種類のみであった。充員召集とは戦時もしくは事変の際に充員を行うため、予備役・後備役の海軍軍人の一部または全部を召集することである。演習召集とは演習を行うため平時に予備役・後備役の海軍軍人を召集することである。簡閲点呼とは予備役・後備役の海軍下士卒[46]を「実査スル為」、時期を定め召集することである。陸軍は将校から兵卒にいたるまでの召集を師団長が行うのに対し、海軍は准士官以上の召集は海軍大臣が行い、下士卒の召集は鎮守府司令長官が行う。


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