古谷徹
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5歳の頃に、ラジオに合わせ歌い踊っていた姿を見ており、アナウンサー歌手志望だった長野県出身の母親が「芸事に向いているのでは」と子に夢を託すかたちで古谷を児童劇団の劇団みつばに入れる[13][18][14]

子役としてのデビューは、テレビ番組の戦争ドラマだったと語る[18]。記憶は薄いが、空襲を受けて地面に伏せる役で、付き添いで来ていただけの母も出演[18]。親子としてそのまま出演しているため、母もある意味では夢がかなったという[18]

普段の練習はもちろん、撮影現場に出ることができて楽しかったという[19]。『隠密剣士第七部 忍法根来衆』の現場で手裏剣を見せてもらったり、横浜市から東京都まで1人で通った収録時、帰りにデパートのおもちゃ売り場に寄ったりして、ほとんど遊び感覚だったという[19]

子役時代には『ウルトラQ』第13話「ガラダマ」や『マグマ大使』などへの特撮ドラマ出演を果たし、自身も好きなヒーロードラマに出られて嬉しかったという[20]
声優として

10歳のときに『ローマに咲いた恋』で声優デビュー[13]。小学校の頃のニックネームは「古ちん」[3]関東学院六浦小学校を経て、関東学院六浦中学校[9]在学中、中学1年時の1966年にオーディションで、『海賊王子』のキッド役でアニメに初出演した[2][5][14]。中学3年生時の1968年からは、アニメ『巨人の星』で主人公の星飛雄馬役を担当[14]。また海外ドラマでも6年近くレギュラーの出演をしていていた。声優デビューしてからも、1967年の加山雄三主演映画続・何処へ』などで子役俳優として顔出し出演を続けていた。

『巨人の星』の放送終了後の高校3年生の頃、立ち止まって考えて、受験の時期ということもあり、それまでは親の敷いたレールの上を歩いてきたが、「果たして自分自身はこの仕事が好きなのか?」と自問していたという[14]。子役から俳優への切り替えがうまくいかない先輩たちの前例も見て、少しずつ離れて芸能界を眺めてみたくなり、劇団ひまわりを退団して学業優先のためしばらく休業[14][21]。ただしレギュラーではない単発での声優の仕事は不定期で行っていた[14]関東学院六浦高等学校から明治学院大学経済学部商学科[9]へ進学し、その卒業時期に「一生の仕事は何をしよう」と考えて「やっぱりもう1回プロとして俳優の道を目指してみたい」と思い[14]1974年東京俳優生活協同組合に所属した[9]1975年、『鋼鉄ジーグ』の司馬宙役で活動を再開[22]

1979年に『機動戦士ガンダム』でアムロ・レイ役を担当[22]。作品自体の大ヒットと共に、それまで星飛雄馬の流れを継ぐ熱血キャラクターを演じることの多かった古谷にとって、内向的な主人公のアムロは大きなターニングポイントになった。1982年からは青二プロダクションに所属[9]1980年代1990年代には、『ドラゴンボール』、『聖闘士星矢』、『美少女戦士セーラームーン[注 1]など社会現象を起こした多くの作品でレギュラーを務めた。
現在まで

2000年代以降はガンダム関係の番組を中心に、バラエティ番組に顔出しで出演する機会も増加した。2012年からは『名探偵コナン』で人気キャラクターの安室透役を担当しており、2022年には同作のスピンオフ作品『名探偵コナン ゼロの日常』で14年ぶりにテレビアニメの主役を演じる。

声優アワードにおいて、2008年(第2回)に富山敬賞を、2010年(第4回)にはシナジー賞を、2019年(第13回)には助演男優賞を受賞した[23]
人物

資格は普通自動車免許、大型二輪免許、四級アマチュア無線技士、一級小型船舶操縦士、二級海上特殊無線技士[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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