この項目では、新潟市の中心市街地で、市制施行以前の旧新潟町の区域である「古町地域(古町エリア)」について説明しています。
古町通1番町から13番町までを東西に貫く通りに面する商店街地域については「古町通」をご覧ください。
古町通8番町から9番町を中心とする花街(花柳界)としての古町については「古町 (花街)」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 新潟県 > 新潟市 > 中央区 (新潟市) > 古町 (新潟市)新潟島 > 古町 (新潟市)赤.古町通、緑.本町通、青.西堀通と東堀通、黒.柾谷小路。いずれも起終点は曖昧。1930年頃(昭和初頭)の新潟市の地図。信濃川左岸側が旧新潟町の市街地となっている。
古町(ふるまち)は、新潟市中央区の新潟島中央部に位置する地域の名称であり、狭義には古町通の町名および商店街を、広義には本町や西堀周辺を含めた江戸時代から続く旧新潟町の市街地を指す。本記事では広義の古町地域(古町エリア)について述べる。
概要古町通り起点を白山公園より望む
「にいがた2 km」と呼ばれる新潟市の都心軸(新潟駅前?万代?古町)に位置し[1]、業務・物販・飲食などの複合的拠点となっている。
新潟島のなかで最も歴史の古いエリアであり、1655年(明暦元年)に築かれた、白山神社から日和山までの港町のまちなみの骨格が現在も残っている[2]。かつては堀が張り巡っていた(詳細は#古町の掘割を参照)。街路は信濃川と平行な「通り」と呼ばれる道と、これに直交する「小路」と呼ばれる道からなる[3]。例として、前者は西堀通、古町通、東堀通、本町通などが、後者は柾谷小路などが挙げられる。通り名に関する地図は#外部リンクを参照。
現代(令和期)においては、柾谷小路周辺は第四北越銀行本店や都市銀行・日本銀行の新潟支店、その他企業の本社・支店などが集積する金融街・ビジネス街、その北側(シモ側)は古町花街を中心とする繁華街・飲食店街、南側(カミ側)は若者向けのファッション・文化拠点としての性格を持つ[4]。
商業面では、新潟市のもう一つの中心市街地である信濃川対岸の万代シテイ・新潟駅周辺エリアがモータリゼーションに対応した大型店舗やチェーン店、ブランド店を多く持つのに対し、古町は小規模な個人店が多数を占めており、商店街・ファッションストリート、飲食街としての性格が強い。上古町(カミフル)を中心に趣味性の強い個人店が多く出店していることも特徴である[5]。
2008年(平成20年)策定の中心市街地活性化基本計画においては古町エリアの大部分が「古町地区」として3つの中心市街地(重点活性化地区)の一つとして位置づけられ、同年策定の新潟市都市計画基本方針(都市計画マスタープラン)においては、「古町・白山周辺地区[6]」として都心の一つに位置づけられている。また、2018年(平成30年)に公表された「新潟都心の都市デザイン」においては「旧市街・開化ゾーン」に位置づけられている(これらの計画は#外部リンクから参照)。
当地名は「ふるまち」の「ふ」にアクセントが付く語頭が高いアクセント(共通語の「降る」と同じ)である。
いずれも住居表示未実施地域である(地番表示のままである)
地域柾谷小路周辺の地図。赤く示した部分は全蓋式アーケード商店街または地下街。
西堀通 (にしぼりどおり)
1872年(明治5年)から現在までの町名で、新潟町の町域改編に伴い寺町通から改称[* 1]。一番堀通町の白山神社付近を起点に南西から北東に伸びる寺町で、隣接街区と合わせて22カ寺が一列に並ぶ[7]。柾谷小路周辺には展望台やオフィスが入居している超高層ビルNEXT21が立地している。西堀通の地下には地下街の西堀ROSAもある。
西堀前通 (にしぼりまえどおり)
1872年(明治5年)から現在までの町名で、新潟町の町域改編に伴い寺町通から改称[* 1]。