古田への批判として「情報発信力の低さ」が指摘されている。岐阜新聞は、テレビなどの出演を嬉々としている他都府知事がいる一方で、古田の露出は「控え目」としている。その原因を「本人の性格」と分析したうえで「県の対策は全国的にアピールできる内容なのに発信力が弱い」と批判している[12]。
また、中日新聞はベテラン議員の話として、昔は「知事もいろんな職員とカレーを食べながら」意見を聴くなどの姿勢があったことを挙げて、職員に「溶け込もうとした」という逸話を紹介した。しかし「カレーライスの会もいつしかなくなった」として、その議員が「新型コロナ対応などの古田の手腕を評価」しつつも、職員とのコミュニケーションの不足を指摘している。さらに、2021年の県知事選挙で保守分裂になった要因として、県議らの陳情を古田が受け入れなかった事例があり「県議らの不満」が溜まり保守分裂につながったと分析した。しかし、中日新聞は記事の論評として、県議らの陳情を受け入れなかったことは県政において「決して大きな失点ではない」としている。また、関係者の談話として「古田降ろしは感情論にすぎない」というコメントを紹介した[13]。 岐阜新聞は2020年12月7日朝刊で、古田県政への県民の評価を発表した。古田の県政運営について「評価する」が12%、「ある程度評価する」が51%で合計63%が一定の評価をする一方、「評価しない」などの非評価層は13%にとどまっている[14]。 古田は、2021年1月7日に告示された岐阜県知事選挙に立候補したが、コロナの感染拡大や首都圏での非常事態宣言発令をうけ「この状況で県庁を離れることはできない」として、個人演説会や集会等の人を集めた選挙活動には加わらないと明らかにした[15]。
古田県政への県民の評価
2021年岐阜県知事選挙の選挙活動
略歴
1947年 9月13日岐阜県岐阜市生まれ
1963年 岐阜市立加納中学校卒業
1966年 岐阜県立岐阜高等学校卒業
1971年 東京大学法学部卒業
1971年 通商産業省入省(貿易振興課[16])
1972年 通商政策局経済協力課[16]
1974年 フランス国立行政学院(ENA)留学
1976年 資源エネルギー庁公益事業部計画課[16]
1977年 通商政策局国際経済課[16]
1979年 大臣官房秘書課[16]
1981年 資源エネルギー庁石油部計画課長補佐
1983年 機械情報産業局総務課[16]
1984年 大臣官房秘書課[16]
1985年 機械情報産業局宇宙産業室長
1987年 JETROニューヨーク産業調査員
1990年 産業政策局流通産業課長
1992年 基礎産業局基礎化学品課長
1994年
4月 - 羽田孜内閣総理大臣秘書官
7月 - 村山富市内閣総理大臣秘書官
1996年 大臣官房会計課長
1998年 通商政策局経済協力部長
2000年 機械情報産業局次長兼内閣審議官
2001年 経済産業省商務流通審議官
2002年 外務省経済協力局長
2004年 退官
2005年 岐阜県知事選挙に出馬、初当選
2009年 岐阜県知事再選
2013年 岐阜県知事3選
2017年 岐阜県知事4選
2021年 岐阜県知事5選[17]
脚注[脚注の使い方]^ 知事のプロフィール - 岐阜県公式ホームページ(秘書課)
^ 『通商産業省名鑑 1994年版』米盛幹雄、1993年11発行、93頁
^ “県政史上最長の5選目指す…岐阜県の古田知事が来年1月の知事選に出馬の意向固める”