俳句の近代化を推進した正岡子規は、「古池の句の弁」(『ホトトギス』1898年10月号)においてこの種の神秘化をはっきりと否定し、「古池や」の句の再評価を行っている。この文章は「古池や」の句がなぜこうまで広く人々に知られるようになったのかと質問した客人に対して、主人がその説明をする、という態で書かれており、俳句の歴史をひもときながら、上述したように「蛙が水に飛び込む」というありふれた事象に妙味を見いだすことによって俳諧の歴史に一線を画したのだということを明確にしている。また子規はこの句の重要性はあくまで俳句の歴史を切りひらいたところにあり、この句が芭蕉第一の佳句というわけではないということも記している[17]。
山本健吉は『芭蕉 ―その鑑賞と批評』(1957年)において、上五を「山吹や」とした場合には視覚的なイメージを並列する取り合わせの句となるのに対し、「古池や」は直感的把握、ないし聴覚的想像力を働かせたものであり、「蛙飛びこむ」以下とより意識の深層において結びつき意味を重層化させているのだとしている[18]。そしてこの句が「笑いを本願とする俳諧師たちの心の盲点」を的確についたものであり、芭蕉にとってよりも人々にとって開眼の意味を持ったのだとし、またわれわれが誰しも幼いころから何らかの機会にこの句を聞かされている現在、「われわれの俳句についての理解は、すべて「古池」の句の理解にはじまると言ってよい」と評している[19]。
大輪靖宏の『なぜ芭蕉は至高の俳人なのか』(2014年)によると、古池は古井戸の用法の如く、忘れ去られた池であり、死の世界であるはずである。「蛙飛び込む水の音」は生の営みであり、動きがある。蛙を出しておきながら、声を出していない。音は優雅の世界ではない。ここでは優雅でなく、わび、さびの世界である。古池という死の世界になりかねないものに、蛙を飛びこませることによって生命を吹き込んだのである。それでこそ、わび、さびが生じた、と述べている[20]。
脚注^ a b 山本 2006、87頁
^ 正岡 1983、216-217頁
^ 復本 1992、94-95頁
^ a b 山本 2006、89頁
^ a b 田中 2010、193頁
^ a b 復本 1992、90頁
^ 山本 2006、86頁
^ 復本 1992、91頁
^ 各務支考『葛の松原』,佐々醒雪, 巌谷小波 校『俳諧作法集(国立国会図書館デジタルコレクション)』博文館、1914年、653頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950166。
^ 山本 2006、87-88頁
^ 正岡 1983、212頁
^ 復本 1992、97-98頁
^ 復本 1992、100頁
^ 復本 1992、95頁
^ 復本 1992、95-96頁
^ 山本 2006、88-89頁
^ 正岡 1983、217-218頁