古東スラヴ語
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ただし、これらの言語の分岐時期については諸説あり、スラヴ基語から直接的に分岐し6世紀には別言語になっていたというシェヴェリョフ(英語版)の説、キエフ・ルーシの成立した9世紀には分岐していたというストルミンスキーの説などがある[4]。ロシアとウクライナ、ベラルーシは元々ひとつであったと主張したソ連では、ルーシの地が分裂した13世紀から14世紀以降に言語も分離していき、元来は同一の言語であったとする説が主流であった[4]。いずれにせよ、これらの言語はそれぞれ古東スラヴ語の文法と語彙を多く受け継いでいる。

タタールのくびきを脱し、以前のキエフ・ルーシの領土がリトアニア大公国モスクワ大公国に二分され、それぞれの国で、南および南西部のルーシ語および北および北東部の中期ロシア語という別々の文語として発展した。
特徴

西スラヴ諸語と南スラヴ諸語と異なり、母音重複が見られる。例えば、西スラブ語:/mleko/ 東スラブ語:/moloko/ (牛乳)
教会スラブ語:/Vladimir/ 東スラブ語:/Volodymir/ (ウラジミル)南スラブ語:/grad/ 東スラブ語:/gorod/ (都市)

アクセントのない о は、ウクライナ語のように[о]と読む。ベラルーシ語とロシア語のように[а]と読まない。例えば、東スラブ語:/korova/ [korova](牛)ウクライナ語:/korova/ [korova](牛)ロシア語:/korova/ [karova](牛);但し、ロシア語の北方方言にはウクライナ語と同様な発音が見られる。

гкхは、常に硬音であり、口蓋化しない。例えば、東スラブ語:/кыъвъ/か/кы?въ/ [k?jevъ]か[k?jivъ](キエフ)

фは、ギリシア系の外来語に文語しか用いられず、/hw/, /h/, /p/として発音する。Εφρα?μはОхр?мъか Ехр?мъΦιλ?ππο?はПилипъ

地域の特徴

古東スラヴ語には、キエフチェルニーヒウを中心とした南方諸語と、ウラジーミルノヴゴロドを中心とした北方諸語が区別される。前者はウクライナ語ベラルーシ語に、後者はロシア語に受け継がれていった。

г:南方では有声軟口蓋摩擦音[?]か 有声声門摩擦音[?]と読み、北方は有声軟口蓋破裂音[g]と読む。南方の東スラブ語:/город/ [?orod]・[?orod] (都市)北方の東スラブ語:/город/ [gorod] (都市)

цч:南方では無声歯茎破擦音[t?s]と無声後部歯茎破擦音[?]として区別されるが、北方では両音が混合される。

иы:南方ではыとして読まれる傾向が見られ、北方には区別される。

?:本来は[?] 、[a:]、または[ie:]であるが[8]、南方では非円唇前舌狭母音[i]に近く、北方では非円唇前舌半狭母音[e]に近く発音された。後に消え、ウクライナ語では[i]と、ロシア語では[e]となった。

キエフ・ルーシ期の文語スヴャトスラフの選書[9](1073年)。

現在のベラルーシロシアウクライナといった地域が当時ルーシと呼ばれる国に統一されてからおよそ100年後の988年、ルーシはキリスト教を国教として導入し、南スラヴでは典礼語及び文語として古代教会スラヴ語が使用されることとなった。この古代教会スラヴ語(第一次ブルガリア帝国のプレスラフ・アカデミーで使用されていたため、古代ブルガリア語ともいう)は、ブルガリア帝国経由でルーシの地にもたらされたが、この時期に文書化された東スラヴ語の量はわずかであり、文字として使用された言語と実際に話された言語の関係について完全に確定させることは困難である。

アラブ東ローマの文献に、キリスト教化以前のスラヴ人が何らかの形で文語を使用していたとの言及もある。いくつかの示唆的な考古学的証拠もあるが、実際のところキリスト教化以前に使用されていた文語体については不明である。

ノヴゴロドにおいて聖書の翻訳などのためグラゴル文字が導入されたものの、間もなくキリル文字に取って代わられた。


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