古川 登志夫(ふるかわ としお[注 2]、1946年〈昭和21年〉7月16日[4][17][19][20] - )は、日本の声優、俳優、ナレーター[13]。元大阪芸術大学短期大学部教授。青二プロダクション所属[14]。妻は同じく声優の柿沼紫乃[15]。 栃木県栃木市(旧下都賀郡大平町[12])出身[1][10][11]。農家の10男5女の15人兄弟の末っ子として誕生[1][3][4][21][22][23]。古川自身は「僕ぁ、田舎育ちで……」と、声優界の千昌夫を自認し、気取らないところが、人間味あふれており、人を魅きつけているという[4][21]。長兄の善一郎は太平洋戦争時に重巡洋艦鳥海の機関砲手を務めていたが、艦が爆撃を受けてフィリピン海で没し、古川が生まれる前に22歳で戦死している[24][25][26][27][28]。古川が生まれた時、両親が「この子は善一郎の生まれ変わりだ」と言っていたという[29][30]。小さい頃はいい子で、「神童」と言われており、住んでいた家の前に、新しい道があったことから、「新道(通称、神童)」と呼ばれていた[9]。その頃から人前でヒョーキンなことをしているような陽性の面があったという[20]。小学校卒業後、早くも兄を頼って上京、その兄の勤務地が変わる度に転校し、東京都、千葉県の4つの中学校を転々としていた[4][21]。
来歴
生い立ち