麻雀好きであり、日記にはどんなに多忙であろうと・あるいは空襲下であろうと晩年の病苦に悩まされようが麻雀を楽しんでいる記事が書かれている。相手は座員や心を許した友人達だった。日本麻雀連盟(略称 日雀連)が昭和7年に開いた新得点を決める会合において、ケチ臭いから500点に決めよう!とロッパが力説したことにより、麻雀のルールにおいて満貫が子あがりで8000点となった。その他ポーカーもしばしば行っていた。
1934年3月には、多くの文士・俳優らと共に麻雀賭博容疑で警視庁に検挙されている[53]。
玉川一郎の著作「泉筆・万年ペン・万年筆」によると、万年筆のコレクターでもあったという。ロッパの死後、その万年筆コレクションは玉川一郎に渡って後に梅田晴夫が手に入れている。 晩年には以前罹患していた結核が再発したが、経済状態の悪いロッパは治療どころではなく仕事が無くなることを恐れ、親族以外には隠し続けた。恰幅のいい体格も病み衰え、外部の者には座布団を腹に巻きつけて太鼓腹であるかのように誤魔化していた[54]。日記には連日のように喀血を表す「SH」が見られ、病気に苦しむ悲惨な姿が窺われる。 実兄に弁護士、推理作家、貴族院議員の浜尾四郎、音楽評論家で子爵の京極高鋭がいる。さらに甥には東宮侍従の濱尾実、カトリック教会の大司教、枢機卿の濱尾文郎がいる。 長男は演劇プロデューサー古川清(東宝所属、のちフリー。主な作品に『屋根の上のヴァイオリン弾き』、『レ・ミゼラブル』、『ミス・サイゴン』などがある)、次男は古川ロックの芸名で俳優となった。なお、芸能活動等はほとんどしていなかったが、長女の洋子とは一度だけラジオ番組で共演した事がある。
病気
血縁の著名人
主な出演作品
映画
1923年
愛の導き - 細田忠一
三色すみれ Love in Idleness
1933年
力と女の世の中 - 主人(声の出演)
音楽喜劇 ほろよひ人生 - ロッパ
1934年
只野凡児 人生勉強
踊り子日記
1935年
ラヂオの女王